鳴かぬ蛍 (前編)


七夕に、と思って書きかけていたお話です。



ついさっきまでの喧騒が嘘のように静まり返った鎮守の森を、僅かに冷えた夕風が吹き抜けていく。
合間に細く聞こえてくる水音を頼りに、キョーコは砂利道を進んだ。
ふと見上げれば、暮れかけの夏空はぼんやりと蒼く、その端に小さな星がひとつちらちらと瞬いている。

(雨が降らなくてよかった。)

そう思ったのはたぶんイベントが中止にならなくて済んだ安堵だけでなく、今日が七夕という日だったからだろう。
思い返せば去年も一昨年も、そして確かその前も七夕は雨だった。

(年に一度しか会えないのに、それすらダメになるなんて可哀想すぎるもの。)

そんな風に考える自分に苦笑する。
以前の愛を否定しきっていた自分だったら、可哀想だなんてこれっぽっちも思わなかっただろうに。
今の自分は年に一度しか会う機会のない二人を思い、こうして胸を痛めているのだから。

「たとえ片想いでも、傍にいられる私は幸せよね。」
瞬きに向けて呟いた瞬間、それが自分への言い訳に過ぎないことに気づいて心臓がキキュッと軋んだ。



* * *



(それにしてもすごい人……。)

ぽたりと流れ落ちる汗を拭う。
7月に入って一気に気温が上がり、ここ数日は真夏日が続いていた。
緑が多い分、ここは都心に比べいくらか涼しく感じるけれど、代わりにそこかしこから聞こえる喧しい蝉の声が夏の鬱陶しさを実感させる。

その日、キョーコは或る神社にいた。
神社の七夕祈願祭に合わせて行われることになった、蓮主演の映画の大ヒット祈願イベントに予想以上に人が集まり、人手が足りなくて困っていると急遽ラブミー部に声がかかったのだった。
おそらく蓮は、キョーコが来ていることを知らない。

「そりゃ、敦賀さんが来るとなったらそりゃ人も集まるわよね。」
ひとりごちる視線の先では、即席の舞台の上に並んだ映画の出演者たちが次々にインタビューに答えている。
舞台を取り囲む黒山の人だかり。
そこからはみ出てぞろぞろと動く人波を誘導しつつ、キョーコはじっと壇上の蓮を見つめた。
蓮にマイクが向くと途端にそこかしこからあがる悲鳴に似た歓声。

敦賀さん、素敵ー!
きゃーっ!かっこいい!
愛してるー!
抱いてー!

黄色い歓声に紛れて叫ばれる言葉は、神社の境内というこの場所にはあまりにもふさわしくない言葉だらけで。
(これじゃ、まるでコンサート会場じゃない。)
何となく気にくわない。
(まあ、たしかに生の敦賀さんを間近に見られる機会なんてそうないから、わからないでもないけれど。)
だからといって聖域であれはないんじゃない?と心の中でぼやいてみる。
(第一マイクを通しているのに、敦賀さんの声が全然聞こえないじゃない。)
とこれはあくまで個人的な不満だということに、キョーコは気づいていなかった。

キャァーーーーー!!!!!

そのときまた一段と大きな歓声が上がった。
耳を塞ぎたくなるほどの劈きは、どうやら蓮がファンに向けてぐるりと笑顔を振りまいたかららしい。
(うわっ、すごい声)
人波を追っていたキョーコも、その声につい背伸びをして舞台を覗き込む。
視線の先に映るのは、今日のためにと用意された楊柳の浴衣をさらりと着こなし艶やかな黒髪を靡かせている蓮。
風に舞って眦を揺らす前髪が邪魔なのかすっと髪をかき上げる姿は、ただ端正なだけでなく男の色香を強く漂わせていて。
思わず目を奪われたキョーコの視線に、まるで待っていたかのように蓮のそれがぴたりと絡んだ。

(うそっ。)

ひゅうと息をのんだキョーコの気配を察したように蓮の顔に瞬間驚きの色が走り、それからすぐに神々しいほど華やかな笑みへと変わる。
その表情に周囲からまた一段と大きな歓声が上がった。

それなのにまだ解けない視線。
まっすぐに注がれる微笑み。

ますます盛り上がりを見せる喧騒の中にいるのに、周囲の音が真っ白に聞こえなくなる。
キョーコは魅入られたようにただ蓮の笑顔を見つめ続けていた。
私に気づいたわけじゃない。そんなはずない、気のせいだと何度も何度も言い聞かせる。
けれど、ばくばくと打ち始めた心音は簡単には速度を緩めてはくれなかった。

「男から見てもかっこいいんだから参るよな。」
「そりゃ、敦賀蓮だもの。でも生でみれるなんて幸せ~。」

通りすがりのカップルから聞こえてきた会話にようやくキョーコの身体が緩んだ時にはもう、蓮の視線はインタビュアーに向けられていた。


*


「今日は本当におつかれさま。」

スタッフに声をかけられ、頭を下げて挨拶を返す。
帰る前に社や蓮にせめて挨拶だけでもと思いはしたけれど、見回しても二人の姿はどこにもなくキョーコはふぅと息を吐いた。
日中の突き刺すような陽射はいつの間にかすっかり薄れ、影を増した空にはカラスが何羽もくるくると舞っている。
あれほどたくさんいた人々もイベントの終了と共に瞬く間に姿を消していた。
(蝉の声もすっかり止んじゃったな。)
空はまだ明るさが残っているけれど、時刻は案外もう遅い。
さてどうやって帰ろうかとぼんやり辺りを見回したキョーコの目に、ふと1枚の貼り紙が映った。

『蛍光舞う夏の夜のひとととき ほたるの夕べ』

今週初めに降った雨にやられたのかところどころフニャフニャになっているものの、大きく書かれたタイトルはまだはっきりと読める。
どうやら神社の裏の池に蛍を放つイベントがつい先日行われていたらしい。

(………蛍?)

それはキョーコの興味を引くのに十分な内容だった。



* * *



ジャッジャッジャッと足元で小石がぶつかる音がする。
神社の裏手には人の気配すらなく、さやさやと吹き抜ける風に煽られてときおり木々の葉がザァっと音を鳴らすばかりだった。
(蛍、か………。)
その薄光を最後にみたのはいつだろう。
もうずいぶん前、まだ幼いころだった。
ちょうど七夕を過ぎたころ、川のほとりで見つけた光の群れ。

切ない記憶が蘇る。



小学校の授業で作った七夕飾り。
“おうちで飾ってくださいね”と持ち帰らされたそれを手に少しドキドキしながら帰宅したキョーコが目にしたのは、『今夜は不破さんのところに行きなさい。』といういつものメモだった。
母の姿はすでに気配すらなく、部屋は静まり返って薄暗い。
少し思案して結局七夕飾りをリビングにそっと置き、キョーコはいつものようにショータローの家へと向かった。
『おかあさんともっとなかよくなりたい。』
七夕飾りにつけた短冊にはそう書いていた。

―――もしかしたらお母さんが、どこかに飾ってくれているかもしれない。

淡い期待を胸に帰宅した翌日。
キョーコが目にしたのは、くしゃくしゃになってゴミ箱に捨てられた七夕飾りの残骸だった。
そして七夕飾りを置いていったテーブルの上には、昨日と同じことが書かれたメモが1枚。

悲しくて苦しくて、気が付いたらいつもの河原にぼんやりと腰かけていた。
「悲しくなんかないもん。平気だもん。」
次々と零れる涙をぐしゃぐしゃと手の甲で拭いながら、何度もそう呟く。
それでも止まらない涙に、キョーコはポケットから大事な宝物を取り出した。
それはこの場所で妖精の王子様からもらった大切な青紫の魔法の石。

「コーン………なんて言えばおかあさんはわかってくれるの?どうすれば、おかあさんは私を好きになってくれるの?」

キラキラと輝く石は何も答えてはくれないけれど。
その光が冷え切った心を慰めてくれる気がした。

「うん、大丈夫。私、がんばる。一生懸命がんばっていれば、お母さんだってきっといつか私のこと好きになってくれるよね。」

ずっと石に話しかけながら、それでもやはり拭いきれない寂しさとますます募るばかりの思慕を抱え、キョーコはぽろぽろと零れる涙を止めることができなかった。

「コーン………、会いたいよぉ。」



ぼんやりと記憶をたどっていた足元で、不意にジジジッと音がして、キョーコの身体がびくんと跳ねた。
見れば、仰向けになった蝉が小さく体を震わせている。
もう鳴く力も失ったその虫が、それでも鳴こうと羽を揺らす姿がひどく哀れに思えた。

(どんなに声を張り上げても伝わらないまま散っていく想いも………あるよね。)

思えばあのころから自分は、想いが切実なほどそれを口にも態度にも上手く表すことができなかった。
そうでない気持ちはいくらでも口に出せるのに。

“私を見て”
“私の声を聞いて”
“私の想いに気が付いて”

全力で希っても届かぬ想いもあるということを、あのころにはもう気づいていたのかもしれない。


――――鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす


古い言葉が頭をよぎる。
どんなに焦がれても、母を振り向かせるようには鳴けなかった、いや鳴く術を知らなかった自分。
そんな自分は、蝉だったのか。
それとも蛍だったのか。
どちらでもあり、どちらでもない。
ただ、あの頃の母への報われぬ思慕は、今もはっきりとキョーコの心に醜い焦げ跡を残している。
忘れようとしても忘れられない、たぶん一生抱え続ける傷痕。

そしてそれは………

今抱えている片恋のやるせなさによく似ていた。






(つづく)

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