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秋の田の穂向きの寄れる… (6)

※病気・症状・治療等については簡単に調べた程度で、基本的に話の流れを優先して書いています。事実と異なる面が多々あると思いますが、スルーしていただけるとありがたいです。



「おそらく事故で脳震盪を起こしたことが原因で生じた一時的な記憶の混乱でしょう。」

隼人くんの記憶に欠けている部分があるようだと話した私に、担当医は淡々と答えた。
ごく部分的な記憶の欠如は、事故に遭ったりした場合には案外よくある症例だという。
たとえば車にぶつかった瞬間の記憶がなかったりすることもその一例といえる、と。

その言葉を聞いてもまだ私の顔に不安な色が浮かんでいたのか、医師がふっと苦笑した。

「大丈夫ですよ。記憶が失われるというのは案外簡単に誰にでも起こりうる現象なんですから。実際、あなただって生まれてから今までのことすべてを覚えているわけではないでしょう?いわゆる”物忘れ”や”健忘”だって、記憶障害の一種ですから。
高岡さんの場合、検査した結果、言語や動作、平衡感覚等に関する障害は何ら見られませんでした。大きな記憶障害があるわけでもないですし、おそらく脳への重篤な障害といったものはないでしょう。ですからひとまずはご安心ください。」

「あの……、高山さんの記憶は戻るんでしょうか?」
それでもまだ尋ねると、持っていた鉛筆をデスクに置いて両手を組み、医師は私に向き直った。
「記憶の混乱という意味では2、3日で改善すると思いますが……場合によっては一生そのままかもしれません。」
え?と思わず声が出る。
「いずれにせよこのまま様子を見守るしかないでしょうね。」

私が気づいた隼人くんの欠けた記憶。
それは、敦賀さんに偶然会ってしまったあの日のことすべて、そして私がお店を辞めて東京へ行くと話したこと。
私と彼の関係に係るここ数日の記憶がまるっと消えている、というのが正しい表現かもしれない。
たった数日のそれも限られた記憶だけれど、起こったことを思えば簡単には消えない強い記憶のはず。
それをこんなにもきれいに消し去っているのは、彼の中に何か起きているということなんじゃ?

―――それは大きな記憶障害ではないんだろうか。

ただ、そうした具体的なことを私は医師に伝えていない。
言おうとすればどうしたって敦賀さんの話になる。
あれだけ大きく取り上げられた出来事だ。
名前を伏せたところで、説明のしかたによってはいとも簡単に特定できてしまうだろう。
だからごく曖昧な言い方しかできなかった。
それでは大きな問題として取り上げてもらえないのも当然だと思う。
だから………。

「本当にこのままでいいんでしょうか。」
「このままでいい、のではなく、このまま様子をみるしかない、んです。」
「でも………」

なお言い募る私に、今回はそれほど重要な記憶ではないと思うので少し違うかもしれませんが……と前置き、医師は話を続けた。

「人には防衛本能というものがあります。たとえば或る記憶が患者さんにとって非常なストレスになるものだった場合、その記憶による攻撃から身を守るため、記憶そのものが失われることがあるんです。
あるいは、身体や心の傷の治癒に必要な自己再生の一種として記憶が失われることも。暴力を受けたり、大きな事件・事故に遭遇した場合がその例といえますね。
こうした場合、記憶を取り戻そうと無理をすることが必ずしも患者さんのためになるとは限りません。逆に患者にとって相当の負担になることもあり得る。
人間の脳についてはまだまだ解明されていないことも多いですからね。自然にまかせるしかないのです………」

――――非常なストレス?
医師が話したその言葉が、強く頭に引っかかる。
けれど、続けられた言葉に気持ちが掬われた。

「とはいえ、意識が回復されたのはなによりでしたね。
意識の回復が遅れれば、それだけ術後の経過回復にも影響が出ます。今回の怪我の場合、さらにリハビリへも影響が出ますから、このまま意識の回復が遅れれば、あるいは元のような歩行が難しくなる懸念も大きかったのですが……。」
その点の懸念はほぼなくなったといっても大丈夫そうだ、と医師は言った。

一気に心に広がる大きな安堵。けれど……、

「お若いですし、あとはご本人がしっかりと前向きな気持ちでリハビリをしっかりやっていただければ、かなり早く元のように歩けると思いますよ。」

さっき言われた”非常なストレス”という言葉と“前向きな気持ちでリハビリ”というフレーズが頭の中でまっすぐに結びつく。
そして浮かぶいくつかの場面。

『あなたの呼びかけがあったからこそ、彼の意識は戻ってきたんだと思うわ。よっぽどあなたのことが大事なのね。』
何も知らず微笑む看護師さんの言葉。

『……俺、キョーコちゃんのことずっと好きだったんだ。』
そう言いながら隼人くんが見せた真剣な眼差し。

本当はもうずいぶん前から気づいていた。
隼人くんが、私を………好きだって。
その気持ちを受け入れられない自分をわかっていて、私は彼を利用した。
彼の好意に甘えた。
彼の優しさにつけこんだ。

――――敦賀さんを忘れるために。

それなのに、あの日の敦賀さんとの再会がすべてを白紙に戻してしまった。
そして彼が向けてくれた想いを、私は踏みにじるように蹴散らした……。

一方的な別れにも、彼は笑顔で私を見送ってくれようとしたけれど。
その瞳にひどく傷ついた影があったのを、私は確かに気づいていて。
そして見て見ぬふりをした……。

『本当に彼女になってもらえないかな、なんて。』

意識を回復した隼人くんが私に見せた穏やかな笑顔。
あの笑顔を曇らせることなんてできない。

今はとなってはもう、ぜったいに。




* * *




「悪いけど、俺は納得できないな。」

隼人くんには欠けた記憶ことは秘密にしてほしい。
そして、敦賀さんには事故のことも隼人くんの記憶のことも黙っていてほしい。
そう言って頭を下げた私に、社さんは静かに答えた。


あれからすぐ、社さんに隼人くんの記憶障害について話した。
きちんと状況を話しておかなければならないという気持ちもあったけれど、本心はただ事情をわかっている誰かにすべてを聞いてもらいたかっただけかもしれない。

「………そんな事情ならなおさら、キョーコちゃんが付き添うこと自体やめたほうがいいんじゃないか?」
事情を聞いた社さんは真っ先にそう言い、私は黙って首を横に振った。

「キョーコちゃんが責任を感じるのはよくわかる。彼の怪我が治るまで付き添いたい、っていうのもね。でも、だとしたらせめてその事情をちゃんと蓮に話すべきだと思うんだけど?」
だって、君たちはただ再会しただけじゃない。
ちゃんと気持ちを通じ合ったんだろう?と社さんは言う。
でも、それでも私には頷くことはできなかった。

「記者会見、見たろ?あいつは本気だよ。本気で君を取り戻そうとしている。」
わかっていた。
あの夜の敦賀さんを思えば、いくら鈍感な私でも。

「いいかい?アイツは君のためならもしかしたら……。」
「記憶が戻るまで……とは思っていません。最初にお話ししたとおり、付き添うのは隼人くんの怪我が治るまで、そう決めています。ただ………。」

社さんの言葉を遮るように声を出した。
事故のことも、隼人くんのことも、知ればきっと敦賀さんはここに来る。
記者会見で見せたあれが敦賀さんの嘘偽りない姿なら、必ず彼はここに来てしまう。

来て、そして……どうなる?
それはきっと敦賀さんにとっても、隼人くんにとっても、悪い結果しか招かない。

「ただ、余計な混乱や騒動を起こしたくないだけです。」
どう説明したらいいかわからず、言い訳のようにそう話した。
でも、社さんの表情は変わらない。

「だけどそれじゃ何にも言わず姿を眩ませた、あのときと同じじゃないか。キョーコちゃん。それじゃアイツがあまりにも……。」
言われてびくりと肩が震えた。

「ごめん。………言い過ぎた。でも………」
「お願いします。」

今の自分には、敦賀さんの隣を歩く力がない。
そんな状態で傍にいてもいつか気持ちが破たんする。
だから、隣を歩くだけの力をつけたいのだと。
力がついたと自信を持てたらすぐにも会いにいきます、と。
そんな風に伝えてくれればいいから、と必死に願った。

「キョーコちゃん…………。でも、でも俺は納得しないからね。」

もう一度、念を押すように呟いた社さんに、私はただ深く深く頭を下げた。




*




その後何をどうしたのか予定されていた私の退院が延期され、間もなく病室に社長が姿を現した。
数年ぶりとは思えないほど、変わらない姿。
お久しぶりですの挨拶も早々に、社長はいきなり話を切り出した。


「このまま付き添うという意志はどうしても変わらんのか?」
ひどく真面目な目つきで社長が私をじっと見る。

「はい。」
「そうか……。まあ、君ならそうだろうな………。」
珍しく逡巡の色を見せながら、社長はふうーっと大きく息を吐いた。
私はただじっとその先を待つ。

「とりあえず、君が今まで住んでいたアパートの解約手配は止めておく。」
「すみません。あの」
「それから蓮には俺から話をする。」

さらりとそう言われうなだれるしかなかった。

「それと……。」

言いかけて用意したお茶を手に取り、ごくりと飲み干す。
そのまま社長は何か考え込むように目を閉じ、しばらく沈黙が続いた。
ひどく居心地の悪い、その時間。
立ち上がるわけにもいかず、私は視線だけを左右にさまよわせた。

「なにも女優の夢をまるっと諦める必要はねーだろ。」
「諦めるわけじゃ……。」
「先の見えない無期延期ってのは、そういうことだ。」

言われて返す言葉を失う。

でも、隼人くんの看病を続けるならここにいなくちゃならない。
でも退院すれば住む場所が必要だから、その家賃も生活費も稼がなくちゃいけない。
時間の都合を考えればバイトするしかないだろう。
看病とバイトと。
その合間にできること……。
それも東京から離れたこの場所にいて。
どう考えたって、女優の勉強なんて難しい。
できるとしても高が知れてる。

でももしなにか方法があるなら………。
――――諦めたくない

そんな思いが顔に出ていたのだろうか。
視線が合った私に向かい、社長はようやくにやりと笑った。

「家賃は今後こちらで支払う。生活費も同様だ。」
「えっ!?それはいったい……。そんなことしていただくわけには……」
「当然だ。俺だって、何の見返りもなくそんなことはしない。」
「でも、それじゃいったい……。」

「まあ、とにかく最後まで話を聞けや。」







(続く)


敦賀さんの出番が……。
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