最後のキス


唇を掠めた微かなぬくもりにトクンと胸が跳ねた。
情熱よりも情愛に満ちたソレは、
気持ちを昂らせるのではなく、やさしく穏やかにさせる、そんなキス。

綺麗だと言ってくれた。
愛していると言ってくれた。

それなのにどうしてだろう。
さびしいのか怖いのか、心のどこかが細く震えている。

それはそう、たぶん……これが最後のキスだから。



「これが最後、だね。」

心を読まれたように耳もとで囁かれた言葉に、頷きながら視界がじわりと滲んでいくのがわかった。
今までのことはぜんぶ夢だった、と。
すべて何かの間違いだった、と。
まるでそう言われたみたいに。
目尻に水滴がふくらんでいくのを止められない。

そんなつもりは全然なかったのに。
今さら、こんな気持ちになるのはなぜ?

滲む視界の向こうでなんでもなく微笑むあなたの、あまりにも完璧な美貌がひどく目に眩しくて。
自分とはかけ離れた世界にいる人だと、改めて思い知らされたような気がして。

――――本当に、いいの?

問いかけたい気持ちがこみ上げてくる。



「そんな顔しないで。」
そう言って頭をぽんぽんと叩く仕草がいつもと違ってひどく遠慮しがちなのはどうして?

「お化粧が落ちちゃうよ。」
そんなのどうだっていいのに。

自分でもよくわからない負の感情が、どんどん込み上げてきて抑えきれない。

どうしてこんなに……不安な気持ちになるんだろう。
どうしてこんなに……やるせなさが募るんだろう。

――――最後、だから?


そんな私に気づいているのかいないのか。
私から目をそらし、腕時計で時間を確かめる彼。

「じゃあ、俺はそろそろ行くから。」

当たり前のように言われて、ぽろりと涙滴が頬を伝った。
そんな私をみて、彼がひどく驚いた顔を向ける。

「どうしたの?」
「……なんだかさびしくて。」
「さびしい?」

困ったように首を傾げながら背を屈めて私をのぞく、その瞳に見たこともないほど切ない色が浮かんだ。

「もしかして……やめたいと思ってる?」

言いながら、そっと頬に伸ばされた指先。
雫がその指を伝い、静かに消えていく。
私は黙って首を横に振った。

「ううん。そうじゃないの。」
「でも、やめたそうに見える。」
「そんなことない。やめるなんて絶対にイヤ。」

見上げて言い切った私に彼はほっとしたように微笑んだ。

「じゃあ、なぜ?」
「なぜか自分でもわからないの。最後だから……かな。」

――――もう、恋人じゃなくなるから?

そんな言葉が頭に浮かぶ。

――――それとも、二人の関係が変わってしまうのが怖いから?

でも、だからって、さびしいはずなかった。
そのはずだった、のに……。
ぐるぐると心を巡る複雑な想いをうまく表現する言葉が見つからなくて迷い続ける私に、彼はひどく困惑した顔をする。


「「本当に……いいの?」」


ふたり同時に口にした同じ言葉。
私は息をのみ、彼は大きく目を見張る。
その顔が、私を安心させるようにふわりと破顔した。

「いいに決まってる。俺はずっとこの日を待っていたんだから。」
「待ってた?」
「そう。ずっと、ずっと待ってた。」

一度離れた指先がもう一度頬に触れ、もう片方の手が私の背にそっと回る。

「キョーコこそ、本当にイヤじゃない?やめたく……ない?」
彼らしくないひどく不安げな声に、私はさっきよりもっと強くもっと大きく首を横に振った。
「そんなこと、絶対ない。」
ふうと大きく吐かれた安堵の息が、私の頬を通り過ぎていくのを感じた。

――――そんな顔、させるつもりなかったのに。

「ごめんなさい。」
「どうして謝るの?」
「だって私……。」
「ねえ、キョーコ。お願い。」

私を見つめる視線に不意に強い熱がこもった。
その色に、心臓がびくんと大きく飛び上がる。

「一刻も早く俺に最高の幸せを頂戴。」

言いながら、再び触れてきた唇。
あっと開いた唇の隙間から、舌先がするりと入り込み、私の舌を絡めとる。
迷う心をぜんぶ掬い取ってしまうかのように、それは縦横無尽に咥内を蠢いて。
全身に走る蕩けるような甘い感覚が、私の身体を強く強く震わせた。
それはさっきよりもずっと熱くて、ずっと濃密で、ずっとずっと情熱的なキス。

「これが”最上キョーコ”に贈る最後のキス。次のキスは、”最上”じゃなくなった君と。」

くたりと力を失って。
でも必死に頷いた私に、彼はどうしようもないほど眩しい微笑みを向けてくれた。

「今よりもっと、幸せにするから。一生愛し続けると誓うから。だから……」

そう言って私を見る彼は、今まで見たどんな彼より幸せそうで。
全身にこみ上げる温かい想いに、私は気がついたら彼の首に両手を伸ばしていた。

「変なこと言っちゃってごめんなさい。」
自分がどんな顔をしているかわからないのが怖くて、顔が見えないよう必死で首根にしがみつく。
「今さらマリッジブルーかと思って焦った。」
くすっと笑ってくれるのはきっと彼のやさしさ。

「私だってあなたと同じ気持ちなのに、なんだかここに一人で待っていたら感傷的になっちゃったみたい。」
懸命に言葉を紡ぐ私の頬を、彼の指先がやさしく撫でる。
それだけで、抱えていた不安がゆっくりと溶けていくような気がした。

なぜあんなにも心の奥が震えていたんだろう。
自分でも不思議なくらいに、今はただ目の前の人を想う気持ちだけが体中を包み込み……。
その端正な顔を思いきり引き寄せて、私は形のいい彼の唇に自ら唇を寄せた。

「“最上キョーコ”からの最後のキス。」


――――花嫁から花婿に、愛をこめて。




*




「よく考えたら最後じゃない、か。」

顔を離したとたん、聞こえてきた呟き。
これからみんなの前でキスするし……と言われてハッと顔が熱くなる。
そんな私の額にそっとキスをして、彼はゆっくりと立ち上がった。

「本当に……綺麗だ。あんまり綺麗すぎて、誰かに連れ去られちゃいそうで怖いよ。お願いだから、ちゃんとまっすぐ俺のところに来てね。」

約束だよ、と言ってまだ何もはまっていない左薬指に口づける彼。

「待ってる。」

そうしてゆっくりと向かったドアの前で、彼は何か思い立ったように振り向いた。
悪戯っぽく微笑み、ぱちりとひとつ投げられたウインクにドキリとする。


「ねえキョーコ。口紅を塗り直すのを忘れないでね。すっかり取れちゃったから。」


…………!!!





Fin

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