ハナアカリ

桜が満開になったとのニュースを聞いて。
こちらは「サンブザキ」「マイハジメ」の続きとなります。



エンジン音の切れ間を縫い、ひゅぅぅと音を立てながら風が吹き抜けていく。
その風に煽られ、咲き急いでいた幾片かの花びらがひらひらと舞った。
舞う花を追って、彼女の頭が左右に揺れる。
まるで、音楽に合わせてリズムでもとるように。

「ちょっと車を停めようか。」
声をかけた俺に、彼女は目を見張った。
瞬きを繰り返すその姿が小動物のようで愛らしく、つい笑みが零れてしまう。
「誰もいないみたいだし、もっと近くで見たいだろう?」

―――そうすれば1秒でも長く、1ミリでも近く、君といられるから。

微笑みかければほんのり目元を赤くする彼女につい手を伸ばしそうになる。
そのくせ心に宿る本音はひと欠けらだって口にできず、もどかしい気持ちがただ募っていく。

―――俺と一緒にいたい、と言って。

けれど、彼女はにっこりと笑いあっさり首を横に振った。
「まだ時間が早いですし、誰かに見られたら大変です。ここから見るだけで充分ですから。」
「そう……だね。」

仕方なく俺は、せめてもと有り得ない速度で車を走らせた。
後続車がいないことをいいことに、それはそれはゆっくりと。

一秒でも長く君とこうしているために。



* * *



蒼穹の地平に朱の一滴を投じ、太陽がやがて訪れる闇に融けていく。

残照を浴び落ちてきた花びらが1枚、フロントガラスに張り付き目の前で貝殻のように白く光った。
その姿にさっき耳朶に触れた敦賀さんの指先が思い出され、心がキュッと痛くなる。

―――クルシイ

言葉にできない想いを抱え、私は視界を埋めるアーチ状の桜並木をぼうっと見つめていた。
時折ちらちらと舞う花びらの所在なさがまるで自分のようでやるせなくて。
つい目で追ってしまう。


目の前にぼんやりと佇む薄紅色の桜並木。
信じられないほど美しいその様を、ただ見つめるしかできない自分。
それはそのまま隣にいる美しい人への恋心に重なる。

好きになるってこんなに苦しいことだったんだ。

今さら思い知らされた。


「誰もいないみたいだし、近くで見たいだろう?」

間近から降りかかる甘い誘いに心がぐらりと揺れた。
この桜並木の下、二人寄り添うように花を見上げる。
きっと夢のように幸せなひととき。
でも……。

「はい」と言いかけて開いた唇を噛みしめて閉じた。

どんなに近づいたとしても、この想いが届くことはない。
届けることもきっとない。
私にできるのは”見るだけ”。

心の中でそっと、好きって言うだけ。

それでもいい。苦しくても構わない。
今こうしている瞬間も、これまでもこれからも。
私は、可能な限りあなたの一番近い場所にいたい。

―――たとえ見るだけしかできないとしても。

考えた途端、心の奥がまた刺すように痛む。

「ここから見るだけで充分ですから。」

言い聞かせるように口にした言葉は、けっして桜のことじゃなかった。



* * *



穏やかな時間は瞬く間に過ぎていく。

「美味しかった。」
俺が心の底からそう言えるのは、君の料理だけ。
その気持ちを込めて言った言葉に、君はほんのり顔を赤らめて嬉しそうに小首を傾げた。
「ありがとうございます。喜んでいただけてよかった。」
「本当だよ。毎日食べたいくらい美味しい。」
「そんなばかな……でも、嬉しいです。」

―――毎日、君とここでこうして過ごしたい。

さりげなく混ぜた本音はあっさりとかわされ、ついため息をつきそうになる。
それでもこうして君と二人他愛ない会話を交わせただけで、たまらなく嬉しい。
相反する2つの感情に揺れる心を宥めようと、髪をばさりとかきあげた。

「食後のコーヒーは俺が淹れるから。あ、そうそう。今日は星空でも眺めながらベランダで飲もうか?」
「ベランダ、ですか?」
「そう。」


*


ガラスのサーバーに落ちていくコーヒーの柱を眺めていると、この一週間ずっと考えていたことがまた頭に浮かぶ。

あのとき――――。
何気なく、好き?と聞いたときの君の反応。
あれはいったい何だったんだろう。

朱に染まった頬の色だけじゃない。
ほんの少し肩が震えたこと。
ひゅんと音が聞こえるほど、
指先がぴくりと動いたこと。
逸らしたつもりの瞳が微かに揺れたこと。

思い当たることがひとつあるけれど、まさか君に限って……。
期待と不安がせめぎあう。
だから、もう一度観察したかった。
手が触れるほど間近で。



やがてダイニングに芳ばしいコーヒーの香りが漂い始めたころ。
「ベ、ベ、ベランダが!!!!」
リビングから聞こえてきた叫び声。
思った通りの反応に、クククッと笑いがこみあげてくる。

声を上げた彼女は今、いったいどんな顔をしているのか。
淹れたてのコーヒーを2つのカップに注ぎ、俺は足取りも軽やかにリビングへ向かった。



開け放たれたベランダのガラス戸の向こうで、呆然と立ち尽くす彼女に後ろからそっと近づく。
「驚いた?」
「そ、そりゃ、お、お、おどろきましたとも!」
「くくっ。なんだか変なしゃべり方だな。」
驚きすぎて言葉もろくに出てこない様子の彼女が、ただでさえ大きな瞳をこれでもかというほど見開いて振り向いた。

「だって、さ、桜が!!!!」
「うん。桜だね。」
「桜がベランダに!!!!」
「うん。知ってる。だってここ、俺の家だし。」
「そ、そういうことじゃなくって!!!!こ、こ、これって!!!!!」

「君と見たくて。」
戦く君に向かい、数時間前に言った同じセリフを俺は再び口にした。



* * *



(ベランダでコーヒー?)

突然の提案に驚く私を尻目に、敦賀さんはさっさと立ち上がってダイニングへ行ってしまった。
(外で過ごすにはまだ肌寒い気もするけれど……。)
どうして敦賀さんがそんなことを言ったのかわからない。
風邪でも引いたらどうするんだろう。

しばらくいろいろ考えているうちに、コーヒーの香りがほのかに漂ってきた。
結局、迷いつつ言われた通りリビングに隣接したベランダへと足を運ぶ。
そして、しっかりと閉じられていたカーテンを開けた瞬間、私は言葉を失った。

桜、桜、桜……。
決して狭くないベランダが、噎せかえるほどの桜の花房に埋め尽くされていた。
重なる花びらひとつひとつがリビングからの反射光で白く浮かび上がる。

(なんて…………。)

言葉もなく私は呆然とそこに立ち尽くした。
と、ふっと背後の明かりが消える。
同時に桜の白がいっそう深く儚く、輝きを増して浮かび上がった。

背後から漂ってくるコーヒーの香り。
近づいてくるあの人の気配。
触れているわけでもないのに感じる体熱。
気づいていないふりをして、私はただ桜を見上げ続ける。

(どうして、こんな………。)

「驚いた?」

やさしい声が耳朶を掠める。
慌てすぎておかしな返答をする私をみて、敦賀さんがクスクスと笑う。
それはそれはやさしい眼差しとともに。

「君と見たくて。」

そして言われた留めの言葉。


―――こんなのずるい。ずるすぎる……。



* * *



俺の言葉に瞬間真顔になった君は、桜の中に鎖された春の女神のように愛らしく、そのくせひどく儚げで。
ぼんやりと光を放つ桜の花影にそのまま溶けてしまいそうだった。

「もし……、もし私が今日いけなかったらどうするつもりだったんですか?」
「そうしたら浚いに行った。」

すかさず返した言葉に瞬間瞠った瞳の色が、俺の心をひどくざわつかせる。

――――思い当たることがひとつあるけれど、まさか君に限って……。

まさか、いやでも、もしかしたら。
もしかしてそうだったら……。

「でも、来てくれた。ね?」
捕まえた視線を離さずのぞきこめば、感じたざわつきが威力を増して俺の心を煽りに煽る。

だから――――言った。

「ねえ、最上さん。好き?」



* * *



「え?」
「最上さんは……好き?」

一瞬焦って、すぐ先週の思い違いを思い出す。
ああ、桜のことだ。
私ったら、また同じ間違いを繰り返すところだった。

「ええ、好きです。」

好きと、その言葉を口にするだけでこんなに苦しいのに。
それでも私は言わずにはいられない。
あなたに気づかれないのをいいことに。
私の心を告げるその言葉を、別の意味に置き換えて口にする。

「本当に?」
「ええ。好き、です。だってほら、こんなにきれい。」

それでもやっぱり苦しすぎて、後ろを向きかけた私に敦賀さんの声が追いすがった。

「俺は……」

急に近づいた声にびくりと震えた瞬間、私の身体は背後からぎゅっと抱き締められていた。
突然のことに言葉もでない。
全身が心臓になったようにドクドクと脈打ち、息が途切れそうになる。

「桜よりも何よりも……君が好き。ずっとずっと前から。君のことだけ見てた。」

……うそ。

すぐにそう思って。
でもそう口にしたら本当にすべてが嘘になってしまいそうで、言えなかった。

「本当?」

だから代わりにそう口にした。
とたんに震える体が一層強く抱き竦められる。

「本当。」

そのとき―――。
迷う心を吹き飛ばすような強い風がベランダに吹いた。
夥しい数の蝶の乱舞のように花びらが舞い散り、一瞬自分が夢の中にいるんじゃないかと思わせる。

「夢じゃないよ。」

まるで心を読まれたように、敦賀さんの声が鼓膜を揺らした。



* * *



満開の桜に包まれて二人、夜空を見上げる。
思い出したように吹き抜ける風が、俺たちの上に幾度となく花びらを降らした。
まるで、結婚式のフラワーシャワーのように。

「桜が好きだと言ったよね。」

腕の中にいる彼女の手からカップを取り、空いた手を自分の掌に包み込む。
それからそっと指先を絡めた。

「俺のことは?」

戸惑うように震えていた指先は、やがてぜんまいが止まるように大人しくなる。
そしてゆっくりと俺を見上げた瞳の中に、求めた答えが確かにあるのを見つけ……。



俺は彼女にそっとキスをした。






Fin
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