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降る雪はあはにな降りそ… (後編)


隔離された静寂の中を熱い吐息がゆらゆらと蠢く。
翻弄の波に自ら呑まれ、私は彼の全てを受け入れる瞬間を迎えようとしていた。

圧し掛かる身体の重さが愛おしくて。
愛おしすぎて。
だからこそ苦しい。

あの頃私は、いったい何をあれほど恐れていたんだろう。
この温もりほど大切なものなどなかったのに。
失うことを恐れて自ら手放してしまった。
何も言わず、何も聞かず、逃げ出して。
そして今もまた、同じことを繰り返そうとしている。
無関心に、無感動に、当たり前のように抱かれる自分を作りあげて。

今の私がしなければいけないのは、この人に「私はあなたが求めるような女ではない」と知らしめること。
彼が愛してくれた…「あの頃の私はもうどこにもいない」と知らしめること。
それがこの人のためであり、自分のためでもあるから。

そう必死に自分に言い聞かせていた。

だって―――。
私がどんなに変わらずこの人を愛しているとしても、もう何もかもが遅いのだから。

この人がほしいのは、私の中に残像のように残る5年前のキョーコだけ。
きっと。
たぶん。
そう……。


*


日がすっかり暮れ果て、深い闇が音もなく近づく頃。
真っ暗な部屋の中で、私はぼんやりと身体を囲う腕の主を見上げる。
うっすらと光差すように浮き上がる秀麗な容貌は有り得ないほど美しく、見つめれば見つめるほど迫る想いに視界がどんどん歪んでしまう。

もう行かなくちゃいけない。
分かっていても私を包む愛しい温もりは放しがたく、穏やかに寝息を立てる彼を心にしっかりと焼き付けておきたくて息を潜め見つめる。
でも、いつまでもこうしていることはできない。

溢れる涙をおさえることもせず、私はしがみつくように握られた手の指を一本一本ゆっくりと外していく。
それがさよならの儀式であるかのように。

刻まれたあなたの記憶をわたしは決して忘れない。
たとえあなたの中で私の記憶が風化し、朽ちて消え失せたとしても。

―――さよなら

子供みたいに安らかな顔ですうすうと寝息を立てる瞼に最後のキスをし、部屋を出ていく。
私が在るべき場所へ。
この人の進む道とは二度と交差しない道の彼方へ還るために。


*


狂おしげに首筋を這う唇を感じながら、私はそんな光景を何度もシミュレートしていた。
そのたび、身体がずぶずぶと闇の沼に沈んでいくような気がする。
闇に沈めるのは”秘密”なんかじゃない。
沈めるのは、この人への愛。
この心のすべてを否応なく縛り付けたそれを、私は必死に闇の底へと沈めていく。
時折無様にもがき出すのをなんとか抑えつけながら。

それほどこの人への愛は、私のすべてを占めていた。
3年前はぼんやりとしかわかっていなかったそのことに、今さら気づかされるなんて思ってもみなかった。
彼の重みを肌に受けるたび、締め付けられるような切なさが胸を覆う。

今も愛していると。
変わらずずっと愛し続けていたと。
そんな真実を明かせるはずがない。
たとえ知られてしまっても、認めるわけにはいかない。
“簡単に寝る女”、“5年経つと人は変わる”“、“俺の愛した彼女はもうどこにもいない”
この人の中の私を、塵屑みたいな記憶に塗り替えること。
それがこの人のために、この人の未来のために、今の私にできる唯一のことだから。

まもなく訪れる終焉の時を決して誤らぬよう―――
閉じた瞼の向こうで私は、もう一度在るべき未来を必死に思い描いた。




* * *




溺れるように彼女のすべてを奪おうとしながら、俺はどこかで小さな違和感を覚えていた。

振り払おうとして払いきれない何か。
それは彼女に触れるたび……このとめどなく思われた渇望が少しずつ満たされるにつれ、反比例するように大きくなっていった。
彼女の香りを、温もりを、感触を、全身で確かめながら、違和感の源を追いかける。
そしてようやく気が付いた。

見つめても
見つめても
見つめても。

気が付けばふと逸らされる視線。
それだけではなかった。
しっかりと俺の背を掴みながら、そのくせ小刻みに震えている指先。
絡みあう舌先は俺の動きに応えながらどこか怯えていた。

単なる戸惑いや躊躇いと言いきれない何か。
気が付いて、それでもこの熱情は止められないと思った。
それなのに……。

――――いけない。

今にも彼女の全てを貪り尽くそうという間際、不意にどこかから聞こえたその声。
自分の内から湧き上がるように生まれたその声に全身が硬直する。

「………?」

突然動きを止め、顔を上げた俺を彼女は驚いた顔で見つめた。
ようやく捕まえたその瞳。
その奥に俺のすべてを呑み込むような暗い澱色を見た瞬間、確信した。

――――押し流されてはダメだ。

なぜそう思ったかはわからない。
ただ、彼女が今にもすべてを終わらせようとしていることだけははっきりとわかった。
情動のまま彼女を抱いてその温もりに満たされてしまえば、その瞬間が終わりの時になるのだと。
不思議なほどはっきり、そう感じた。
彼女はまた、俺のもとから消え去ろうとしている。
今度こそ本当に跡形もなく。

――――俺のことを愛しているくせに。

彼女の気持ちはわかっている。
確かに今も俺を愛していると、全身で叫んでいる。
そのくせそれを認めようとしない。
彼女の中にある何かがそれを邪魔している。

―――どうしたら彼女に認めさせることができるんだろう。

俺はじっと彼女を見つめた。
そらされても
そらされても。
その視線を俺に向けさせる。

(絶対に離さない。そう言ったろう?)

開ききったブラウスの前を閉じ、凍える身体をただひしと抱き締めた。
この気持ちを彼女に伝える術を探りながら。

「……どうして?」
震える声が耳もとで囁く。
応える言葉を見つけられず、俺は黙って首を振り、そっと触れるだけのキスを何度も何度も繰り返した。
心から愛しているとなんとか伝えたくて。
見つめては口づけ、口づけては見つめる。

やがて彼女の顔が苦しげに歪み、闇をのみこむほど透明な雫が長い睫毛に滲んで落ちた。


苦しめたいわけじゃない。
どんなに愛していても。
どれほど愛されていても。
俺といることでこんなにも彼女は苦しんでしまう。
それがわかっていて手放せないのはエゴかもしれない。
身勝手で一方的な独占欲。
だとしても俺は、もうこの温もりを決して離したくはなかった。
いや、離せなかった。

ほかの誰にも渡さない。
俺以外の誰にも触れさせはしない。

それほど愛していた。

ひとつだけ確かなことがある。
彼女を取り戻さなければ俺はもう俺でいられない。

だからこの腕の中でぶるぶると震えの止まらない彼女の身体を俺は必死に抱き締めた。
どうにか彼女を安心させたくて。
彼女はいやいやをするように首を振り続ける。
それでも俺は、彼女を抱き締め続けた。

それしかできることがなかった。



「身体がほしいんじゃない。キョーコの心がほしいんだ。今、目の前にいるキョーコの心がほしい。俺がほしいものはそれだけだ。」
絞り出すようにそう口にした俺を見上げる彼女の口から、
「敦賀さん……。」
ようやく俺の名がぽつりと落ちた。




* * *




震える足もとから凛冽な闇が迫り上がり、私の身体をじわじわと侵食していく。
立ち位置も覚束ないまま、闇の底へと引きずられていく恐怖。
この心ごとぜんぶ深い淵に沈んでしまえと、そう願っていたはずなのに。
いざその瞬間が訪れると、自分がどれほどそれを恐れていたか思い知らされた。

這い上がる闇が。
纏わりつく冷気が。
身体を包み、喉から入り込み、肺を満たし、呼吸をできなくする。
それは恐怖以外のなにものでもなかった。

(―――いやっ!!!!)

すべてを消し去ろうとしたこの瞬間、はっきりと悟った。
この愛は消せない、いや消したくないと。
闇に沈めることも、風化させることも決してさせたくないと。

それほど愛していた。


『……キョーコ』
遠くから微かに私を呼ぶ声が聞こえる。
導かれるように顔を上げた私の目に小さな一筋の光が映る。
救いの光。
それを掴めば、この闇から逃れられる気がして。
私は必死に手を伸ばした。
もがき、抗い、足掻き……その光に手を伸ばす。

(……!)
光をとらえた瞬間、立ち込めていた重い霧が晴れるように辺りが見えてくる。
敦賀さんの力強い両腕が私を支え、柔らかな瞳がこちらをじっと見つめていた。

「敦賀さん……」

私だけを大きく映す黒曜の瞳。
どれほどその瞳に、この両腕にすがりつきたいか、あなたはきっとわからないだろう。
わからなくていい。
だって……。

なけなしの勇気を必死に振り絞り、私は言った。
「あなたの……あなたの重荷にはもうなりたくない……。」

その場を支配するひとときの沈黙。

「もう?」
沈黙を破り、意味が分からないといった顔つきで敦賀さんが形の良い眉をふっと顰める。
「どうして君が俺の重荷に?」
「だってあなたにはもう新しい……」
喉の奥に大きな塊が詰まったように言葉がでない。
「……新しい、生活があるから。」
女性がいるだろうから、とはどうしても言えなかった。

「幸せになってください。あんなに成功して今も十分幸せだと思うけど。でももっと幸せになってほしい。」
心からそう願っているから、と精一杯笑顔を作る。
搾り出したせめてもの言葉。

「本当にそう思ってる?」
哀しそうな瞳が私を見返した。
どこかで見た覚えのある、哀惜を湛えた瞳の色。
その色に心の奥がどうしようもなく揺らいだけれど、だからといってどう答えたらよいかわからず、黙ってこくりと頷いた。

「わかった。」
肩を抱いていた手が静かに外される。

―――そうよね。わかってた。

肩が妙に寒く感じるのは、きっと気のせい。
心が妙にがらんと思えるのは、きっと気のせい。

「君の言うとおりにする。」
言われた言葉に思わず俯いた瞬間、手首が軋むほど強く掴まれた。

「いいかい?よく聞いて。」
掴まれた手首がぐいと引き寄せられる。
「俺に……幸せになってほしいと言ったね。」
覗き込む黒曜の瞳が私の心に突き刺さる。

「俺を幸せにできるのは君しかいない。俺に幸せになってほしいなら、俺のそばにいるんだ。もう二度と…」
バランスを失った身体がたくましい腕の中に落ちていく……瞬間、唇をふさがれた。

「俺から離れるな。離れないでくれ。俺に幸せになってほしいというなら。」



* * *



両腕で彼女をきつく抱き寄せ、閉じ込める。

「俺たちは離れられない運命なんだと君が認めるまで俺は絶対に諦めない。」
耳もとで言い聞かせるように囁いた。
「俺にはキョーコだけだ。キョーコのいない世界なんて考えられない。一生君の傍にいたい。君に傍にいてほしい。」
たとえ聞いてくれないとしても構わなかった。
ただ、自分の正直な気持ちをはっきり言葉にして伝えたかった。

「5年もかかってごめん。」
彼女が覚えているかどうかわからない。
でも少なくとも俺は、この5年間一度として忘れたことはなかった。

「君がいてくれればそれだけで……」
少し俯いた彼女の頬を両手で挟んでこちらに向かせ、あらん限りの想いの丈を微笑みにして手向けた。


「いつでも俺は笑顔でいられるから。」



* * *



向けられた微笑みにドクンッと大きく心臓が跳ねた。

懐かしい微笑みだった。
神々スマイルなんて呼んでいたこともある、あの微笑み。

そういえば……
もうずっとそんな微笑みを浮かべる敦賀さんを見ていなかった。

どの雑誌を見ても。
どの映画を観ても。
どのドラマを見ても。

これに似た笑みを浮かべる敦賀さんの姿は一つもなかった。

―――ううん。それだけじゃない。

目の前の微笑みはあの神々スマイルとも違う。
あれよりももっと熱く、胸を締め付けられるほどの切なさに溢れていて。

「今までもこれからも、君だけを愛してる。」

すぐ耳もとで聞こえる声が、低く甘く頭に響いてくる。
吸い込まれそうな黒い瞳が私を見つめていて、目をそらすこともできない。

端正な顔が、ゆっくりと近づいてくる。
ひどく大切なものに触れるようにやさしく頬を撫でられ―――唇がそっと重なった。
それだけでなぜか涙があふれて止まらなかった。



「キョーコ。俺の話を……聞いて?」






降る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに
(降る雪よ、あまりたくさん降ってくれるな、吉隠の猪養の岡に眠るあの人が寒いだろうに。)



うーん……。あと1首続きます。
スキビ☆ランキング ←参加してみました。よろしくお願いします。

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コメント

  • 2016/03/18 (Fri)
    21:34
    泣いちゃった…。

    ううううぅ〜

    泣いちゃったよう。T^T

    切なくて、悲しくて…。綺麗で…。

    きゅーん、って苦しかったです。

    かばぷー #- | URL | 編集
  • 2016/03/23 (Wed)
    10:13
    Re: 泣いちゃった…。

    コメントありがとうございます^^

    苦しい展開でごめんなさい ><
    でもその先に必ず二人の幸せがあると信じて書いているので
    最後までおつきあいいただけたら嬉しいです~

    ちなぞ #- | URL | 編集

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