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降る雪はあはにな降りそ… (前編)

こちらは「家にありし櫃に鑠さし…」「遺れ居て恋ひつつあらずは…」の続きになります。そちらを読んでからお読みください。



すべて幻だったのかもしれない。

何度そう思ったことだろう。
数年前まで手を伸ばせば届く場所にいたあの人。
馴染んだはずの温もりは、今はもう現実だったとは思えぬほど遠く。
記憶の片隅に残る仄かな残り香が曖昧に心を揺さぶる。

ぜんぶ幻だったのだと、信じるほうがラクだった。

それでもあなたの“画”をみるたび心が不安に襲われる。
夢を叶えたあの人は、今幸せなはずなのに。
誰よりも幸せでいてくれなければならないのに。

どうして?

記憶にある瞳の色とどこか違う。
哀惜を湛えた眼差し。


―――それが私を想う色だとどうして気づけただろう。

諦めという鎖でがんじがらめになったこの私に。



る雪はあはにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに
(万葉集 穂積皇子)



綺麗な月を見せてあげる、と確かにそう聞こえた。
耳を塞ぎたくなるほど、心を揺らすあの声で。

視線を背ければその先で、窓ガラスを鈍く曇らせ外を走る雨が次から次へと水滴をぶつけてくる。
吐く息がかかればガラスの向こうの景色は一層濁り、この場所に確かに自分がいることを痛切に思い知らせてきた。

握られた手が痛い。
ううん、手だけじゃない。
心も、痛い。

なのにその手を振り払うこともできずにいる自分がやるせなくて、唇を噛む。
その合間にも、握られた掌からは自分のものかそうでないのか分からぬほど強い鼓動が響いていた。
伝わる温もりは淡く残る記憶にはっきりと重なり、嵩む不安をさらに煽る。
今すぐここから逃げ出したいのに、凍りついたように動かない身体が何よりも憎い。

神様はひどい。
どうして今更、私にこの人を引き会わせたんだろう。
遠くから、何にも邪魔されないほど遠くから、密かに想うだけで充分だったのに。


*


走る景色が醜く歪みながら流れていく。
静かすぎる車内では身じろぐ衣擦れの音すら聞かれそうで、キョーコは全身を固く閉ざしていた。
と、握られたままの手に握った手がぐいと強く力をこめる。

「……信じてた。」

ぽつりと耳もとを揺らした言葉に、キョーコの身体がびくりと振れた。
あまりに間近くあまりに懐かしい響きにじわりと熱く涙滴がこみ上げ、慌てて瞬きを繰り返す。
それでも一度濁った景色は戻ることなくみるみる滲みを増し、どうにもならずキョーコは目を閉じた。

「いつか絶対にまた会えると。必ず君に会えると……信じてた。」

手が、痛い。
痛くて。
痛すぎて。
息もできない。

「……会いたかった。」

それ以上何も言わないで。
私の心を崩さないで。

キョーコの心が音にならない悲鳴を上げる。
5年前と同じように、いやそれ以上に蓮が自分の心を縫いとめる力をもっていることなど、今さら確信したくなかった。
それなのに。
軋むほど激しく奪われた唇の熱さが、かつて交わした優しい口づけの穏やかな記憶を塗りかえてしまう。
より強く。より熱く。

―――こんなにもまだ、この人を愛していると。



*



連れて行かれたのはあまりにも懐かしい場所だった。

「ここ……。」
「ああ、ずっと借りたままにしてあったんだよ。ときどきハウスキーピングには入ってもらったけど。」
引きずられるように玄関を抜け、リビングに通される。

(何も、変わってない。)

何度も来たこの場所、この部屋。
最初は後輩として、それから恋人として。
この部屋で幸せな日々を過ごした。
懐かしくも遠いあの頃。

忘れたかったのに。
何年かけても、どうしても忘れきれなかった。

リビングの入り口でぼんやりと立ち尽くすキョーコの背後に立った蓮は、躊躇いもなくその身体をふわりとやさしく抱き締めた。
髪が、肩が、腕が…キョーコの何もかもが蓮に包み込まれていく。

―――香りが、違う。

そう気づいた瞬間、キョーコの胸に逢わなかった5年の距離が突き刺さった。
それなのに、かつて”敦賀セラピー”と名付けた温もりは、以前と何ら変わらずキョーコに強い安らぎと至福を与えてきて。
落差に動揺が抑えられない。

―――もう、過去のことにしたはずなのに。

車に乗ってしまったときからわかっていた。
何年経っても。どんなに距離が隔たっても。やっぱり私はこの人を忘れられない。
もう忘れたと、あれは過去のことだと、何度も自分に言い聞かせてきたけれど無理だった。
ううん、違う。
本当は、ただ忘れたくなかっただけ。
そう……。



涙が一粒、はらりと落ちる。
その水滴が、蓮の手に当たって四方に散った。
瞬間、蓮はその腕にぎゅうとひときわ強く力をこめた。

「もう一度……イチから始めよう。」
絞るように吐き出された言葉。
言いながら蓮は、キョーコの身体をそっと自分に向けさせた。
眦に滲んだ雫を掬うようにそっと唇を這わせ、舌先で水滴をやさしく吸い取っていく。
触れた唇に鼓動が脈打ち、キョーコの口から切羽詰まったような吐息が漏れた。

何を言われているのかわからない。
そんなことできるはずない。
もう道は、すっかり分かれてしまっているのだから。
二つの道が、重なることはもうない。

―――なのに、どうして?

疑問を瞳に掲げ、キョーコは勇気を振り絞って蓮を見上げた。
「言ったろう?……もう絶対に離さないって。」
言われても、ありえないと何度も何度も首を振る。
「無理……です。」
大きく吸った息を吐き出すようにやっとの思いで言葉を返すと、キョーコは顔を背け視線を落とした。

「どうして?あの男のせいか?」
不意に蓮の声が鋭く尖った。
「男?」
キョーコは、呆然と涙に濡れた瞳を見開いた。
(隼人くん……。)
わずかな間をおいて、無造作に置いてきてしまった人のことが頭に浮かぶ。
(なんてことをしちゃったんだろう。)
あんな騒動を起こした末にあんなところに一人残してしまうなんて…自分の身勝手さと残された彼の気持ちを思い、胸が痛む。
(どうしよう…。私、ひどいことを……。)

「そんなに気になる?」
唸るように降ってきた声に、はっと顔を見上げた。
眉を寄せ表情を歪ませたその顔は、そのくせどこか哀しげでキョーコの心をひどく揺さぶる。
それなのに、
「ええ。だってカレだから。大事な話があるって言ってたのに。こんなところに勝手に連れてくるなんて、ひどいです。それにあんなこと…」
一気にそう口にしていた。


一瞬の沈黙が痛かった。
どうしてそんなことを言ってしまったのか自分でもわからない。
気が付けば、笑えるくらい投げやりに蓮っ葉にそんなことを言ってのけていた。
言ったそばから戸惑って、でもそんな表情を見られたくなくて、顔を大きく反らしてしまう。
それなのに、それは突然だった。

「ちょっ…や、やめっ……やめてっ!」

勢いよく身体を引かれ、骨が折れそうなほど強く抱き締められる。
そのまま蓮の顔がキョーコの肩に埋まり、首筋に唇が寄せられた。
強く吸い付かれ、焦って大きく身を捩った拍子に勢い余って倒れこむ身体。
いつの間にかキョーコは大きなソファに押し倒されていた。

「あんな男のことなんて、愛していないくせに。」
耳朶を揺らす呻くような呟き。
「そんな、そんなことないです。」
震えながら必死にそう返せば、
「いっしょにいてもこれっぽっちも笑っていなかったのに?」
そう言って、蓮はようやくキョーコの首筋から顔を離した。

「君の隣にいなければならないのはあんな男じゃない。俺だ。」


どうして?
どうしてそんなことを言うの?
どうしてこんなことをするの?

―――私はもうあなたとは何の関係もないのに。

首筋につけられたものが何を意味するかくらい、今の私はもうわかる。
所有印?
いったい何のために?
何があなたをそうさせるの?
あなたから逃げ出した女だから?
それが許せなかったの?
だからこんな風に私を追い詰めるの?
それなら…
それでも…

―――お願いだから、まるで恋人にするようなことをしないで。

あまりにも混乱していた。
連絡を絶ってからもう3年になるというのに、突然現れて、俺のものだといい、連れ出され、唇を奪われる。
蓮が何を考えているのか、まったくわからなかった。
そのくせ、されるがままに身を委ねてしまった自分自身にも戸惑いが隠せない。
そうして呆然と目を見開くキョーコに蓮はようやく言った。

「どうして何も言わずいなくなったの?」

どうして……?
苦悶に満ちた表情とともに尋ねられ、混乱する頭は答えを求め記憶を彷徨った。


*


連絡を絶つことを決めたあの日のことは今もはっきりと覚えている。
かけた電話の向こうから聞こえた女性の声。
ショックだった。
悲しかった。
でも、当然だとも思った。
この人が私を愛するなんてありえないって、ずっとどこかで思っていたから。
きっと何かの間違いなんだと、気の迷いなんだと、そんな気持ちが消せなかったから。

私よりもずっときれいな人はいくらでもいる。
女らしい人も、やさしい人も、演技の上手な人も、そのすべてを備えている人も。
この人が愛するのにふさわしい人は、いくらでもいる。

私じゃ……ない。
この人の隣にふさわしいのは私じゃない。
そう思い知った、あの日。
それなのに、それでもどこかで諦めきれない自分がいて。
自分を選んでほしいと、心が叫ぶのを止められなかった。

お母さんの時と同じ。
ショーちゃんの時と同じ。
ううん、それ以上に。
私はこの人がほしくてほしくてたまらなかった。
自分だけのものにしたくてならなかった。

優しい笑顔、優しい声、優しい香、優しい温もり、そして……優しいキス。

あのときの私にとってそれは何よりも大切な唯一無二のものになっていた。
だからこそ気づいた。
このままだと私はきっと、もうすぐ離れていくこの人に追いすがって、追いすがって、重荷に、足かせにきっとなってしまう。
そんな自分がたまらなく怖かった。
そんな自分にはもうなりたくなかった。

逃げ出した本当の理由は、きっとそれ。
それなのに、あなたは……。



*



「寒いんだ。」

不意に蓮が口を開いた。
「君がいなくなって、君の温もりを失って…。そうと知った日からずっと、耐えられないくらい寒い。日本とアメリカに離れても、そんな風に感じたことはなかったのに。君がいなくなったと知って以来、もうずっとそんな夜を過ごしている。」
言いながらのしかかる蓮の身体は本当にがたがたと震えていて。
「外にいるときはいい。人の目があるかぎり、俺は”敦賀蓮”でいようとするから。でも……ひとりになるとだめなんだ。寒くて、寒くて、どうしようもない。」
悲痛な眼差しがじっとキョーコを見つめた。
その瞳の奥をキョーコが探るように覗き込む。

「君でなければ俺は……。」

トクッ。
蓮の瞳に潜む苦渋の色が、キョーコの胸に鋭い痛みを走らせた。

(なぜこの人はこんなにも苦しんでいるの?)
夢を叶え人も羨む成功を手にして、今は誰よりも幸せなはずなのに。
そんなにも辛そうな目をするのはなぜ?
あなたの心に重く圧し掛かっているものは何?

その瞬間一つの言葉がキョーコの脳裏に浮かんだ。

―――贖罪

この人はショータローとは違う。
だから、私を選んだのが間違いだったと気づいても、私を突き離しきれずにいた。
距離をとろうとして、とりきれずにいた。
その結果、私は勝手に女優を辞めて、夢を諦めて、姿を消して、逃げ出して…。
もしかしたら、すべて自分のせいだと思い込んでいるのかもしれない。
なにもかも放棄した私と成功した自分を引き比べ、所以ない罪悪感に苦しんでいるのかもしれない。

(まさか、でも、もしそうだとしたら……)

誰よりもやさしく、誰よりも心を砕き、私のことを考え、私に接してくれた人。
いつも、より高みへと私を導いてくれて。
私が求めたものとは違っていても、そこにはたしかに愛があった。
だからこそ私はその愛に縋った。

あれほどやさしいこの人なら、すべてを捨てた私に対し罪悪感を覚えてしまうことも有り得るかもしれない。
過去の過ちを自分のせいだと引きずって苦しみ続けたとしてもおかしくないのかもしれない。
私は何も言わず、彼の前から一方的に姿を消したのだから。

(だとしたら、私にできることは……)

キョーコは目を瞑り、天を仰ぐように両手を小さく浮かせた。
(それは私という呪縛からこの人を解放してあげること?)
それがどうすれば可能なのかわからない。

それならせめて、目の前で凍える身体を温めたいと思った。

伸ばした手を蓮の背に回し、あらん限りの力で抱き締める。
せめて今だけでも自分の持てるすべての温もりをこの人に捧げたいと、そう希いながら。

「温かい……。」

強張っていた背中がようやく弛緩し、安心したように呟かれた言葉に胸が軋む。
自分を見つめ弱々しく微笑んだ蓮の冷えた唇に、気が付けばキョーコはそっと唇を寄せていた。

突然のことに一瞬戸惑った唇はやがて狂おしげに円らかな唇を貪り、凍える身体は溺れるようにキョーコに重なっていった。






(続く)

いろいろ展開に迷いつつ、曲解キョコちゃんに語らせちゃいました。この先次第で大きく改稿するかもしれません。
次回は限定かも。
スキビ☆ランキング ←参加してみました。よろしくお願いします。
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