遺れ居て恋ひつつあらずは… (後編)

車を出たとたん、ゴオゴオと音を立てて耳もとを風が吹きぬける。
あらゆるものをひっくり返し、混乱させ、揺るがすほどの強い風。
立ち向かうように髪を靡かせ、蓮は歩みを進めた。

まっすぐに伸びる彼女への道筋。

蓮は脇目もふらずその場所へ足を踏み入れる。
周囲の喧騒はこれっぽっちも耳に入らない。
ただ、視線の先にある後ろ姿だけが、蓮の視界のすべてを占めていた。



*



ずっと後悔していた。

なぜもっときちんと彼女と向かい合わなかったのか。
正直な心の有り様を余すところなく伝えなかったのか。
日本にいるときも、アメリカに行ってからも。
いつも俺は彼女に対し、自分がどれだけ彼女を愛しているか伝えることにばかりやっきになっていた。

(どうして私なんですか?)

彼女が何度も口にするのは、”愛”というものに対して、未だ満たされぬ想いがあるからだと思っていた。
どれだけ求めても得られなかった母親からの愛情。
手酷く裏切られた小さな恋。
それらのトラウマが原因で抱えてしまった不安や恐れ、淋しさは、乗り越えたように見えても、まだ彼女の中に根深く残っているのだと。
だから頭ではわかっていても、心のどこかが不安を覚え、俺の気持ちを信じ切れずにいる。
そういうことなのだと思っていた。

(それなら彼女が抱えるネガティブな感情はすべて、俺の愛で覆い尽くしてしまえばいい。)

俺の告白を彼女が受け入れてくれたことで、いったいどれだけ舞い上がっていたのか。
自分でも持て余すほど大きく膨れ上がった愛情。
次から次へと溢れ出るそれを、俺はただただ彼女に注ぎ続けた。

―――花に水を遣るように。

こうして俺の愛情で彼女の心を埋め尽くしてしまえば、きっと彼女は俺だけを愛し、俺だけを見てくれる。
そんな身勝手な思い込みもあったかもしれない。

どうすれば彼女は俺を愛し続けてくれる?
何があっても、何を知っても、ずっと俺のそばにいてくれる?

いつだって俺の不安はそこにあったから。


不安の原因は分かっていた。

『尊敬する大先輩』、『神様みたい』、『敦賀教を信仰してますから』
俺の頭の中には、彼女が言っていたそんな言葉が焼き付いていた。
彼女が愛してくれたのはそういう俺なんじゃないかと、心のどこかが思うのを止められずにいた。

脆い自分、弱い自分、臆病な自分。
そんな姿は決して彼女に見せたくなかった。
彼女の前では完璧な俺でありたかった。

嫌われたくない―――その心の果てにある本能的な自己防衛。

本当に愛しているのなら、自分の弱さも戸惑いも躊躇いも逡巡も、感じる全てを曝け出すべきだったのに。
今ならわかる。
彼女なら、俺がどんなにネガティブな感情を突き付けても、きっとまっすぐに俺を見つめ、愛し、見守り続けてくれただろう。

俺は間違っていた。

愛し方も。
伝え方も。
愛され方も。
受け止め方も。
何もかもすべて。

『慢心』

社長が言っていた言葉の意味を今更考える。
あの頃の俺は、それを彼女から想われることにあぐらをかくな、という意味だと単純に思い込んでいた。
だがそうじゃなかった。
彼女を愛する気持ち、それ自体に慢心していた。
『こんなにも、こんなにも、こんなにも君を愛している。』
そうやって自分勝手に愛を押し付けていた俺は、たしかに彼女への愛に“慢心”していた。

俺は自分の気持ちしか見えていなかった。
彼女をちゃんと見ていなかった。

―――ちゃんと愛していなかった。


本当は……彼女に連絡がとれなくなったとき、どこかですでにそのことに気づいていたような気がする。
そのくせどうしたらいいかわからず、結局俺は何もせず事態にただ手をこまねいているだけだった。

今の俺は自分を見失っているけれど、彼女ならきっとわかってくれている。
  だって想いの丈をあれほど伝えてきたのだから。
あんなに応援してくれる彼女なら、何もいわなくてもきっと待っていてくれる。
  だって愛する気持ちは何一つ変わっていないのだから。
今だけ、今だけのことだ。
電話やメールが絶えがちなのは、俺も彼女も離れている淋しさに少し疲れてしまっただけなんだ。
愛し合っている二人ならきっと大丈夫。
これくらい努力せずとも乗り越えられる。

そうやって自分を甘やかし、言い訳を繰り返し、俺はようやく手に入れた彼女をみすみす手放してしまった。
バカすぎる。
失ってから自分の間抜けさに気づくなんて。


神でも悪魔でも何でもいい。
もしもう一度チャンスが与えてくれるなら俺はもう決して……。

いや、違う。

神も悪魔も関係ない。
運命は俺がこの手で引き寄せる。

―――引き寄せてみせる。



*



ずっと心に誓ってきた想いを、もう一度心の中で繰り返した。

5年ぶりに間近にみる彼女の背は、何かを予期したように震えている。
今すぐにも抱きしめ、その震えをこの手で宥め慰めたくて、体の芯が熱く疼いた。

―――運命はこの手で引き寄せてみせる。

失った時が簡単に埋められるとは思わない。
それ以上に失った信頼を、傷ついた愛情を、彼女のすべてを取り戻すのが並大抵のものではないのもわかっている。

でも、俺は信じている。
いや、確信している。

今も君は俺を愛している。
俺が君を変わらず愛しているように。


うっすらと顔を上げた彼女の瞳が、ガラス越しに俺を見つめた。
目が合ったことにおそらく気づいていないのだろう。
零れ落ちてしまいそうなほど大きく開かれた眼が瞬きもせず俺の姿を確かめる。

あの頃と何ら変わりない大きな瞳。
その眦に唇を寄せ、俺は当たり前のように君を抱き寄せたくなる。
肩まで伸びた髪を指でそっと掬い上げ、耳もとで君の名を囁きたい。

……キョーコ

いいかい?
俺の運命は間違いなく君につながっている。
そして君の運命は……どこにあろうと俺がこの手に掴み取る。



*



「ずいぶん探したよ。」

背を向けたまま震える肩を両腕で抱き締めるキョーコに、蓮は吸い寄せられるように近づいた。
耳を塞ごうと動く手首をさっと掬いとる。
瞬間、蓮の視界を遮るように見知らぬ男の腕が伸びた。

「キョーコちゃんに何をするんだ!」
「キョーコ、ちゃん?」

男の言葉に無性に掻き立てられる苛立ち。
そのつもりはなかったのにサングラスを外し高い位置から微笑みかければ、それだけで男が怯んだのがわかった。
…と、その男になにかデジャブのようなものを感じ、首を傾げる。

整った目鼻立ち。
サラサラの黒髪。
細身だがしっかりとした体つき。

(あの頃の俺に、雰囲気が似ている。それに……)
昔俺が使っていたのと同じ香りだと気づき、思わずクスリと笑いが込み上げた。

「ああ…もしかして何か君の邪魔をした?悪かったね。でも彼女は……」

言いながら強張った華奢な肩を引き寄せる。
記憶にあるよりずっと薄くなったそこはちょっと力を込めるだけでポキンと折れてしまいそうで、怖くて指先の震えが止まらなかった。
それでも擁いた腕を解く気はさらさらない。

「俺のものだから。」

だから―――

「返してもらうね。」


呆然と言葉を失ったキョーコの身体が大きく震え始める。
そんなキョーコを蓮はできるだけやさしく包むように抱き締め、そのままさっとかかえあげた。


*


「やめて!離して!」

「そんなに騒いだら警察を呼ばれちゃうよ。」
叫ぶキョーコに耳打ちすれば、うぐぅと困ったように口をつぐむ。
眉尻を下げ少し口を尖らせたその顔つきは以前の彼女を彷彿とさせ、蓮は懐かしさに思わず口もとを緩ませた。

「まったく、いくつになっても君は変わらないな。」
そんなセリフがつい口をついて出て、余計にキョーコの怒りを買う。
「離して!離してくださいったら!」
もがくキョーコ。
けれど暴れれば暴れるほど、蓮の腕は一層強くその身体を抱き締めた。
「無駄だよ。何をされても俺は君を離さない。」
「なっ!」
一瞬止まる口と手に、蓮の唇からフッと息が漏れる。
「とりあえず車に乗ろう。」
「何を言ってるんですか!私は彼と…「彼?」」

(気に入らないな。その言い方。)
そんな気持ちが視線に出たのか、見据えた先のキョーコの瞳がきょろきょろと所在なさげに揺れ動いた。
逃がさず視線を追い詰めれば、キョーコはひゅうと息をのみ、いやいやと首を振る。

「と、とにかく彼が私に話があるって…。」
「それは俺よりも大事?」

真剣だった。
そう言えばキョーコはいったいどんな色をその瞳に浮かべるのか。
蓮は、その瞬間に賭けた。

見開いた瞳が、みるみる大きく潤んでいく。
滲む切なさは、蓮の心を震わせるのに十分すぎるほど十分で。
「ああもう、本当に君は……。」
気が付けば唇を寄せていた。


一度触れてしまえばもう止められない。
甘く、どこまでも甘く蓮を虜にするその唇。
それはまるで何らかの毒を孕んでいるかのように、少し触れるだけで蓮の身体をひどく痺れさせる。
追い詰め、追いかけ、捕まえて。漏れる吐息を感じるたび、心臓が絞られるように苦しく痛み、狂おしいほどの情動が全身を駆け抜けた。

深く、深く。もっと深く。

息をするのさえ苦しくなるほどの想いが熱く喉を嚥下していく。
「絶対に離さない。」
そう言うと蓮は、キョーコの耳もとに誓いを立てるように強く跡をつけた。
ぽつりと赤く咲いた花は、小さくてもはっきりと色濃く蓮の想いを刻みつける。


「家に行ってくれ。彼女のことなら心配いらない。」
運転席にそう言うと蓮はくたりと力の抜けた身体をひしと抱き締め、車に乗り込んだ。



*



広い車の中で、蓮はキョーコにぴたりと寄り添い離れようとしなかった。
諦めたようにおとなしくなったキョーコの手を握りしめ、じっと外の景色に目を遣る彼女をただ静かに見つめ続ける。

……と。
視線を逸らしたままのキョーコが不意に口を開いた。

「今日は朔の日なんです。月は見えない。月は見えないんです。敦賀さん。」

掠れるようなその声に蓮の胸が粟立つ。
敦賀さんと呼ばれ、背筋を冷気が這い上がるのがわかった。
蓮、と名を呼んでくれたあの頃。
その記憶が儚く浮かび、ぎいっと胸を痛めつける。

そして同時に、もっと古い記憶が蓮の脳裏に蘇った。

(夏目漱石は、I LOVE YOUを”月が綺麗ですね”って翻訳したんですって。何だかとても詩的ですよね。)

いつだったか教えてもらった、漱石の言葉。
二人で満月を眺めながら、綺麗だねと互いに言いあい笑いあった―――あの頃。
キョーコとの想い出はどんな小さなことも蓮の胸にヤケドのように焼き付いている。

「見えなくても……月は確かにそこに在るよ。綺麗な月が確かにある。」

びくりと震える指先を固く固く握り直し、蓮は力強く答えた。



「俺が君に見せてあげる。綺麗な、綺麗な月を。」






遺れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ我が背
(ひとり残されて恋しがっているよりは、いっそあなたを追いかけていきましょう。だから道の曲がり角に目印を結びつけておいてくださいね。愛しいあなた)


まだ続きます。2首か3首?
思いのほか長くなってしまってすみません。そして書いているうちにやはり本歌とは少しぶれた内容に…(汗

スキビ☆ランキング ←参加してみました。よろしくお願いします。
関連記事

コメント

  • 2016/02/28 (Sun)
    06:39
    管理人のみ閲覧できます

    このコメントは管理人のみ閲覧できます

    # | | 編集
  • 2016/03/01 (Tue)
    23:48
    Re: 素敵です〜

    p○○○haさま

    > このお話大好きです。

    うわあ、ありがとうございます!
    いろいろ試行錯誤しつつ書いているので読みにくい部分も多いかと思いますが、気に入っていただけて幸せです~。

    最初は短編のつもりで始めたのですが、いつのまにやら長編化していて自分でも焦ってますw
    いったりきたりなお話になると思いますが、よかったら引き続きおつきあいくださいませ~♪

    ちなぞ #- | URL | 編集
  • 2016/03/04 (Fri)
    15:38
    どうなるの?

    ちなぞ 様

    このシリーズ大好きです。和歌にのせたいろんな蓮キョを見せてくれて本当にありがとうございます。
    今回の“家にありし櫃に鑠さし・・・”からの連作は悲しいくらい切恋ですね。
    お互い別れてからの再出発は失くしたものの大切さが解って、より一層の結びつきで超ハピエンになって欲しいと思います。きっとそうですよね‼
    ちなぞ様が書かれるお話しは、切恋でも、ハッピーテイストでも、心が温まるお話しが多いので楽しみです。

    “似非紳士vs手練れ男 再戦 ”の続きも待ってます。

    ひろりん #- | URL | 編集
  • 2016/03/09 (Wed)
    11:23
    Re: どうなるの?

    ひろりんさま

    コメントありがとうございます!大好きと言っていただけてとてもとても嬉しいです^^
    今回のお話は蓮キョが少し大人になっている分、切なさが増しているかもしれません。二人ともいろいろ頭の中で考え込んでしまうタイプだと思うので大変なんですが、ハピエンに向けてなんとか頑張ってもらおうと思います!

    >“似非紳士vs手練れ男 再戦 ”の続き
    途中でストップしていてごめんなさい!プロットはほぼ固まってるので、こちらが終わったらとりかかりますー!

    ちなぞ #- | URL | 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する