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家にありし櫃に鑠さし… (後編)

重く、厚く、のしかかってくるようなねずみ色の空。
その中をちぎれた黒雲がゆっくりと流れていく。
雨はまだ降りだしていないけれど、それもきっと時間の問題だろう。

(天気予報は晴れだったのに。)

予想外のことが起きるのは、なにも天気に限ったことではない。
自嘲するような笑いを気づかれぬよう噛み殺し、キョーコはコーヒーを一口啜った。
職場に近いからと、よく足を運ぶカフェの窓際のカウンター。
外を眺めるように二人並び、キョーコは隼人と時間をつぶしていた。

「午前中はあんなに晴れてたのに、あっという間に崩れちゃったなあ。」
隣で隼人ががっかりした声で言っている。
「本当は今日、遊覧飛行をしようと思ってたんだ。」
「遊覧飛行?」
「そう。この近くに小さな飛行場があってね。そこで受け付けてるんだ。CMやドラマの撮影でもよく使われるんだって。テレビで前に見てね。いつか行きたいなと思ってたんだ。」
でも一人でいくのもナンでしょ?と微笑んでくる。
「キョーコちゃんならきっと喜んでくれると思って。」

すっと肩が近寄り、覗き込むように隼人の瞳がキョーコを探った。
 イヤな、予感。
 キケンな、サイン。
キョーコはつい目を伏せ、そっとカップに手を伸ばした。

「それに二人きりでしたい話もあったし。」
「……はな、し?」
「そう。あの、さ。キョーコちゃん。こんなところで言うのもどうかと思うかもしれないけれど。俺、じつは君のこと……」
隼人が躊躇いがちに口を開いたそのとき、店内が突然大きくどよめいた。

「ちょっとあれ。」
「うそ、本物?」
「なんでこんなところに!?」
そこかしこから声があがり、どよめきが次第に高さを増す波のように広がっていく。

(え?何?)

店内の異様な雰囲気にキョーコが思わず振り向こうとした瞬間―――。
背後に誰かが立つ気配を感じた。
同時にふわりと漂ってくる覚えのないフレグランス。
記憶にない香りのはずなのになぜか妙に懐かしくて、そのことがキョーコの心をひどくざわつかせる。

自分でも訳のわからぬまま、とくとくと加速していく心音。
気持ちを落ち着けようと小さく深呼吸し、何気なく目の前のガラスを見たキョーコの目に、その人影がはっきりと映って見えた。

―――まさか、そんな、ありえない。

あまり見かけない大きな人影。
周囲の空気を一瞬で変えてしまうほどの存在感が溢れた綺羅星のオーラ。
最後に会ったときよりも、なお一層成熟した男らしさと精悍さを蓄えたバランスの良い体躯。
神から『完璧』を許された存在。
こんな人は、一人しか知らない。

(つる……が…さん………。)

ドクンッ
心臓をぎゅっとわしづかみにされたような痛みが走り、ガタガタと身体が強く震えはじめる。
どうしたらいいかわからず、思わず両手で自分自身を抱き締めた。

「やっと、見つけた。」

ひどいざわめきの中で、その声だけがはっきりとキョーコの耳に届く。
懐かしい声色、懐かしい響き、懐かしい……。
忘れようとして、忘れようと必死になって、それでもどうしても忘れられなくて。
涙し続けた日々が蘇る。
同時に気が付けば、あれからずっと色褪せていた景色が、ガラスを通しても怖いくらいにくっきりと蘇っていく気がして。
心が大きく揺さぶられた。

―――振り向けない。振り向いちゃいけない。

耐え切れないほどの息苦しさがキョーコを覆い、わぁんわぁんと頭の中で警告音が鳴り響く。
何度も深呼吸を重ね、唇を切れるほど噛みしめても。
それでもなお、動揺は収まらない。
収まるはずが、ない。

もう枯れ果てたと思っていた涙が込み上げ、消したはずの感情が奥底から脈々と湧き上がってきた。

「ずいぶん探したよ。」

耳もとに走る吐息。
鼓膜を揺らす囁き。
聞きたくないと耳を塞ぎかけた手首を―――蓮の右手がぐいと掴んだ。
「……ゃっ」
声にならない悲鳴を上げ、キョーコは必死にもがき逃げようとする。

「おいっ!お前、キョーコちゃんに何をするんだ!………え?敦賀れ…。」
身を捩るキョーコを守ろうと伸ばしかけた隼人の手が、蓮を認めてぱたりと止まった。
驚いたように身体を固め、ただ二人を見つめる隼人に、蓮がいかにも関心なさげにそれでいてどこか挑発的な視線を向ける。
「キョーコ、ちゃん?」
今、お前はそう言ったのかと尋ねるような口ぶり。
起伏のない表情とは裏腹に、その言葉に刺すような声音が紛れ込む。

「ああ…もしかして何か君の邪魔をした?悪かったね。でも彼女は……。」

サングラスを外し微笑みかければ、それだけで相手が怯むのがわかる。
その隙をついて、蓮は前のめりにぐらついた痩身を一気に自分の元へ抱き寄せた。

「彼女は……俺のものだから。」

―――だから、返してもらうね。

そう言って改めてにっこりと微笑むと、蓮はキョーコの頭を自分の胸にぐいと押し付け、そのまま軽々とかかえ上げた。
ようやく我に返り、ばたばたと暴れはじめた手足がどうにもならないほど、しっかりと抱き締めて。
蓮はまっすぐに店を出ていった。

人々は無意識に蓮に行く道を譲り、その後ろ姿を呆然と見つめる。
後に残ったのは、空っぽの空間を所在なく握り締める隼人と人々のざわめきだけ。


*


「や、やめて!離して!」

店を出たとたん、キョーコは声を上げた。
抱き上げられた腕の中からなんとか逃れようともがくキョーコに目を遣り、蓮は眉間に大きく皺を寄せる。
「まったく、いくつになっても君は変わらないな。」
「は、離してくださいっ!」
「離すわけがないだろう?」
「どうして!?」
「離したら君はまた逃げるから。」
「逃げるってそんな…逃げたことなんかない!そんなんじゃないもの!」
一瞬口ごもり、キョーコはまた悲鳴のように声をあげる。
「それについては後でゆっくり聞くから。とりあえず車に乗ろう。」
「車?な、何を言ってるんですか!私は彼と…「彼?」」

覗きこむ視線に射抜かれ、呼吸が止まる。
思わず目を背け、いやいやと首を振った。
「とにかく今は彼が私に話があるって…。」

「それは俺よりも大事?」

静かにまっすぐに、そう言われて言葉を失った。
けれど、
「そ、そういうことじゃなくて、だって…」
それでもなお必死に言い募ろうとするキョーコを蓮はじっと見つめる。
ふっと緩む口もと。
「ああもう、本当に君は…。」

蓮はもがくキョーコの顎をくいと掴み、いきなり唇を重ねた。
「ぅぐっぅ!」
不意を突かれ、大きな瞳を見開いたままキョーコが固まる。
僅かに開いたその唇の隙間に、蓮の舌がすかさず強引に割り込んだ。
突然のことに抗う術もなかったのか、やすやすと許された侵入。
入り込んだ舌先は、逃げるキョーコの舌を追いかけて捕まえて、吸い上げるように絡みつく。
歯列をなぞり、探るように口内をかき回し、いいように蹂躙しつくした。
強引で深く、それでいて甘く官能的なキス。
それが角度を変えながら何度も何度も繰り返され、そのたびどんどん深くなっていく。
やがて―――唇の隙間から甘い息が漏れた。

「何をしても、言っても無駄。もう絶対に離さないから。このまま君は俺と来るんだ。」

早口で囁き、蓮は唇をキョーコの耳の後ろの柔らかい部分へと押し当てた。
ちくりと走る痛みにキョーコの瞳がピクッと歪む。
「ぁぅっ」
くたりと力の抜けた身体を強く抱きしめ、蓮は彼を待つ車へと足を向けた。


いつの間にか降り出していた雨に、二人の髪はしとどに濡れていた。
まるで流してきた涙に打たれるように。





家にありし櫃に鑠さし蔵めてし恋の奴のつかみかかりて
(家にあった櫃に鍵をかけ厳重にしまっておいた恋の奴が、いつのまにか抜け出して私に掴みかかり私を苦しめる)


「遺れ居て恋ひつつあらずは…」に続きます。
途中出てきた飛行場のモデルはすでに閉鎖した阿見飛行場。閉鎖される前に一度遊覧飛行してみたかったなあと思います。

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