手のひらのしあわせ

「なんだか、久しぶりですね」

今、キョーコは蓮のマンションに来ている。

「TRAGIC MARKER」の撮影が始まって以来、カイン・セツカとして一緒にいることの多かった二人だが、今日は夏の特番番組収録のために敦賀蓮・京子に戻り、共に1日を過ごしていた。
そうして十数時間にわたり続いた収録が何とか無事終わり、蓮は久しぶりにホテルでなく自宅へと戻ってきた。
社からの依頼もあり、同行したキョーコは今、キッチンでホテル滞在ではなかなか発揮しきれない料理の腕を存分に揮っている。

「お夕食、そろそろ出来ますからもうちょっとお待ちくださいね。TMのハードな撮影が続いていましたし、今日の収録も長引いたから、お疲れじゃないですか?」

キッチンから漂ってくる美味しい香りとキョーコからの優しい語りかけ。
蓮は今、この上ない幸福を感じていた。

(こんな毎日が当たり前になればいいのに。)


こうしてキョーコと過ごしているときだけは、心に巣食った闇に捉われることは決してない。
それは自分でもよくわかっていた。

けれど1人になった途端、過去は容赦なく襲いかかってくる。
あがけばあがくほど深みに嵌っていくような暗闇。
そして、同時に溢れ出すキョーコへの熱い想い。


 俺はまだ闇から逃れられずにいるけれど、君への想いを否定することはもうできない。
 君は俺にとって唯一の光だから。

 俺は、君のすべてを独り占めにしたい。
 その笑顔を俺だけのものにしたい。
 でも・・・身勝手な独占欲でがんじがらめにして嫌われたくもないんだ。


自分でもどうすることもできない複雑な想いが蓮の心を行き来する。

(俺はどうしたらいいのか・・・どうしたいのか。)


気がつけば蓮は、俯き額に手をあて深く物思いにふけっていた。



「もしかして頭・・・痛いんですか?」


不意に声がかかる。

慌てて顔を上げると、キョーコがその大きな瞳を曇らせ、心配そうにこちらを見ていた。


「あ、ごめん。ちょっと考え事してた。なんでもないから大丈夫だよ」

にっこりと優しく微笑みながら返したものの、キョーコは納得できないのか心配そうに小首をかしげ蓮を見つめている。

「そうだ!」

しばらく考え込んでいたキョーコが何かを思いついたように声をあげ、にっこりと微笑んだ。

「ちょっと失礼しますね。」

言ったかと思うと、すっと前屈みに身体を寄せ、キョーコは蓮の右手をとった。


(え・・・?)


トクンッ


その動作に蓮の心が跳ねる。

彼女の指先が自ら触れた。たったそれだけの事実に、こんなにも心が震える自分が信じられなかった。

ただ手をとられた、それだけのことなのに。


「先日番組で、頭痛に効くというツボとマッサージの仕方を教わったんです。だから、試してみますね。」

そう言いながら、キョーコは小さな両手で大事そうに蓮の手のひらを包み込んだ。


互いの手のひらを密着させ、親指と人差し指を使い、円を描くように優しくさする。
手のひらから手の甲へ。
そして、小さな両手が蓮の無骨な指を一本一本丁寧にもみほぐしていく。

普段のキョーコからは考えられないほど密着度の高いふるまいに、蓮の気持ちがつい昂る。
心臓が・・・高鳴る。

(期待しちゃ、だめだ・・・。)

唇を噛み締めた。


「あのですね。親指と人差し指の間にあるここは合谷といって、首から上の痛みに効くツボらしいです。手は体全体を表していて、親指が頭にあたるそうなんですよ。だからこうやって親指をほぐすと頭痛に効くんですって・・・。」

懸命に説明するキョーコの言葉が、霧のように淡く頭の中をすりぬけていく。


何も言えず、されるがままに。

蓮の耳には、ばくばくといつになく早く大きい自らの心臓の鼓動だけが響いていた。

すべての神経が、自分の右手に集中する。

やわらかい指先。
ほのかな温もり。
心地よい感触。
かすかな花の香り・・・。

キョーコがもたらすありとあらゆる感覚が蓮の心をとらえて離さない。


(このまま、ずっと・・・。)


「あれ?なんだか少し顔が赤いですね。やだ。もしかして風邪かしら?」

それは、マッサージに集中していたせいだったのか。
ごく自然にキョーコはその額を蓮の額に寄せた。


「ん?熱はないみたいですね・・・え?あっ!きゃああああ!!!!」


自分でしたことだというのに、気付いた途端大きく悲鳴を上げてキョーコは飛び上がった。
思わず蓮は、空いていた左手でキョーコが逃げ出さないよう腕をとらえた。

「ご、ごめんなさい。わたしっ、小さい子を相手するみたいについ・・・変なことしちゃって・・・恥ずかしいです」


(君っていう人は、本当に・・・。)

茹でダコのように赤く染まったキョーコを見て、蓮はクスリと笑みをこぼした。

(プシューって音を立てて湯気が出てきそうだ。)


ぱちぱちと瞬きを繰り返しながら真っ赤な顔でこちらを見つめるキョーコ。
蓮にはその何もかもが愛おしい。

強く握りしめた腕から、穏やかで温かい何かが蓮の全身に流れ込んでくる。


(ああ・・・心地いい、な・・・。)


「ごめんね。やっぱり頭、少し痛いみたいだ。よかったら左手もマッサージしてもらえないかな。」


腕はしっかりと捉えたまま、少し肩を落とし、哀しい色を瞳に宿すようにして懇願してみる。

―――彼女はこの表情に弱いから。


「し、仕方ないですね。手を出してください。」


(よかった・・・。)

ほうっと小さく息を吐く。


 今はこれだけでいい。

 これだけで満たされるから。


 だから、もう少しこのままでいさせて。


 このひとときを、もう少しだけ。


 もう少し・・・だけでいいから。




fin

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