砕氷 前編

※ネタバレ注意※
こちらは本誌(2014年6月掲載Act.213あたり)の掲載内容をベースに書かれたお話です。
本誌をお読みでない方にはお勧めできません。
お読みになるか否かは自己責任でお願いします m(_ _)m

新開監督と蓮さんの出会いなど原作で触れていないのをいいことに少々ねつ造しています。
本当は某企画様に参加したくて書き始めたのですが、本誌の内容が頭にがっつり印象付けられていたのか、気が付けば完全ネタバレ続き妄想状態⇒これじゃ参加なんて無理無理!に・・・^^;
そのままお蔵入りにすることも考えましたが、せっかく書いたお話なので、思いきって掲載させていただこうと思います。

そんなお話でもかまわないという猛者様のみお進みください。





カランと薄音を立て、ロックグラスの丸氷が大きく姿勢を変える。
大きな掌から体温を奪い続けたグラスは、いつしかすっかりその存在を忘れ去られていた。
琥珀色の液体は自らの重みに耐えかねたようにグラスの底に沈み、水膜を張ったままじっと身を潜めている。


ふぅ―――・・・

何度目かわからぬほど繰り返されたため息。
そして蓮は、肘をつく素振りで何気なく指先を唇に寄せた。
そうやって唇が何かに触れる感触を得るたび思い出す。

夢のような、というには言葉が軽い。
幻のような、というには記憶に濃い。

(あの子の唇・・・。)

もうずいぶん前のことだというのに。
余韻は今も甘く切なく、それでいて心に針の痛みも感じさせる。

(でも、それよりも・・・)

指先をガラス面で遊ばせながら、 蓮は再び思った。
脳裏に鮮やかに浮かぶのは敦賀蓮として共に食事をしたときのキョーコの逐一。

(あの子は、まったく・・・。)

コーンにとっての特別な一日をなかったことにはしたくないと言い切った彼女。
敦賀さんには嘘をつきたくないと、頬を赤らめて呟いた彼女。

コーンにとっても。
蓮にとっても。
そして、久遠にとっても。

それは無上の瞬間だった。

投げかけられた真っ直ぐな好意は、無条件な信頼を連れ、比類なき救済をもたらす。
それがたとえ愛情に変わるものでなくとも、かまわないとさえ思えるほど。


あの瞬間をいったい何度反芻したことだろう。
そのたび自分の中に、得も言われぬ力が湧いてくるのを感じた。
たとえ手の届く距離に彼女がそばにいなくとも、そのたび前へと踏み出す勇気を得た。

(本当に・・・。)

―――あの娘(こ)には勝てやしない。


蓮の口元がふっと甘く緩んだ。
思いもかけず手に入れた輝きの未来図。
その中にキョーコを描けば、それだけで締め付けられるほどの幸せが、軽い酔いのように全身を駆け廻る。

―――そう、あとは・・・。

溜まったため息を振り切り、固めた決意を思い起こす。
途端に、ついぎゅっと握り締めた手のひらから、無意識に触れていた文字盤の冷たさがすうっと伝わってきた。

(そう焦るな、とでも言われているみたいだな。)

苦笑いが零れた。


*


「よお。」
不意に背後から掛けられた声に、蓮ははっと我に返った。

「珍しいな。こんなところに来てるなんて。」
見れば、声を掛けてきたのは新開だった。
こうして顔を合わせるのはどれぐらいぶりだろう。
仕事ではなくプライベートとなれば、それこそ相当になる。

「一人だっていうのにずいぶん楽しそうじゃないか。物思いに耽ってるのかと思えば、口許が妙に緩んでいたぞ。イヤらしい。」
そう言ってニヤリと笑う。
「いや、イヤらしさでは、新開さんにとてもとてもかないませんよ。」
「おいおい、言ってくれるな。まあ、事実だが。」

二人で顔を見合わせ、ぷっと吹き出した。
新開らしい押しつけがましさのない親しさと程よい距離感。
蓮にとって彼は、心置きなく話のできる数少ない一人だった。

「隣、いいか?」
断る道理もない。
蓮が頷くのを見るや、新開はすっとカウンターチェアーに滑り込んだ。

「こうして落ち着いて会うのも久しぶりだな。どうだ、最近。」
「どうって、相変わらずですが。」
「相変わらず、じゃわからないだろう?もうちょっと具体的に言ったらどうなんだ。愛想のない。」
はぁとこれみよがしに肩を竦めてみせたかと思うと、蓮の前に放置されていた小皿のピーナツをつまみあげ、ぽんと口に放り入れる。

「監督こそ。でも、こんなところに来ているくらいだし、今度の映画は順調そうですね。」
「ああ、おかげさまで今日無事にクランクアップしたよ。ついこの間までは散々だったんだけどな。キャストが変わった途端、嘘みたいに撮影がスムーズになった。おかげで、突貫とはいえスケジュール通りに終えられたし。・・・何よりこうして酒が美味しくいただけます。」
最後は茶化すようにそう言って、にっと笑った。

「あ、そうそう・・・。」
言いかけて、近くのバーテンに“同じものを”と指示すると、新開は蓮にぐいと顔を寄せた。
「やっぱりいいな、あの子。」

「あの子?」
何のことかわからず、蓮は訝しげに眉を寄せる。
一瞬間を置いて、ようやく気が付いた。

「もしかして・・・京子、ですか?」
「ああ。」
当然だろ、という顔つきで新開が蓮を見返した。


*


ここしばらく蓮は海外での仕事が続き、ろくに日本にいなかった。
だからキョーコが最近どんな仕事をしていたのか、どうしていたのか、まったくと言っていいほど知らない。

ようやくすべてがひと段落つき、帰国したのが今朝のこと。
すぐにキョーコに会えるとは思っていなかったが、全く期待していなかったといえば嘘になる。
だから、急ぎ足で戻った事務所で、
「せっかくだし、蓮の疲れを癒す意味でも、キョーコちゃんに食事をお願いしようとしたんだけどねー。なんか忙しいみたいで、連絡がとれなかったんだ。ごめんよ、蓮。」
開口一番社にそう言われ、肩を落とした。

結局、締め切っていた自宅にそのまま戻る気も起きず、こうして一人所在なく過ごしていた。


*


(・・・そうか。最上さん、新開監督の仕事をしていたのか。)

言われてみれば、最初の出会いから新開はすっかりキョーコのことを気に入っていた。
機会があれば、彼女を使わないわけがない。

(あの頃の彼女を知っている新開監督なら、なおさら今の彼女を見て、成長の目覚ましさに舌を巻いたことだろう。)
わずかな期間に目まぐるしく変化したキョーコを思い、蓮の頬がふっと緩んだ。

「あれからずいぶん成長しましたよね。彼女。」
さりげなく口にする。

「ああ。」
蓮の言葉に新開が大きく頷いた。
「あのとき思った通りだったよ。一緒にやってみて、俺はすっかりあの子に惚れこんだ。」
力を込めて断言した新開に、蓮はまるで自分が褒められたかのように笑みを零した。

「気持ちはわかります。」
即座に同意した蓮に、新開は再びにっと笑いかけた。

「そうか、お前も結局あの子に惚れこんだか。」



(続く)
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