雨の雫は涙の雫

それは小さな偶然だった。

ダークムーンの打ち上げ映像が流れて以来、なぜかトーク番組にセットで呼ばれることが増えた俺と最上さん。
たいていはダークムーンの裏話を楽しく語れば済むものばかりで、いわゆる楽な仕事だった。
その日の生トークショーもそんな番組のひとつ・・・のはずだったんだ。

放送日が母の日でさえなければ。

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雨の雫は涙の雫
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「ところで今日は母の日ですが、おふたりのお母様はどんな方なんですか?」
司会者に悪気はなかったろう。
おそらくちょっとしたプライベート秘話からゲストの素顔を引き出そう、その程度のこと。

「「え…」」

どちらにとっても避けたい話題がふいにふられ、思わず固まる俺と彼女。
先に立ち直ったのは俺だった。

「あははは。みなさんのお母さんと同じ、ごくふつうの女性ですよ。ただ・・・そうですね。うちの場合、作ってもらえる料理がかなり独創的でしたけど」

そう言いながら、“敦賀蓮”らしい紳士な極上笑顔でウィンクする。“抱かれたい男№1”の悩殺スマイルに沸く観客。
そのまま俺はカメラ目線でとりとめのない話をひとしきり続けた。
“京子”を取り戻すまで、彼女にカメラが向かないように。

誰にも見えぬよう小さく唇を噛み、ようやく君はいつもどおりの笑顔を見せる。
「それでは京子さ…「では、今日直接ありがとうと言えなかったみなさんに代わって、僕たちから全国のお母さんにありがとうのメッセージを送りたいと思います。ね、京子さん」


話題を締めくくってしまおうと話しかけた俺に向けられたのは、小さな不安がよぎるまなざし。
『だいじょうぶ。ちゃんと笑えてるよ。』そう気持ちをこめて微笑み返す。
この微笑みは、ちゃんと彼女に勇気を与えられただろうか。


「そうですね、敦賀さん。では、全国のお母さん…」

「「せーの」」

「「いつもありがとう!」」


満面の笑顔をカメラに向けながら、その指先は小刻みに震えていた。


もし今が本番中でなかったら、俺はその手をとり、そのまま君を抱き寄せていただろう。

君の心の震えを少しでも和らげるために。



* * *



出番を終えた君が、いつものようにスタッフひとりひとりに丁寧な挨拶を繰り返す様を、俺は目の端でずっと追いかけていた。


「敦賀さん、社さんもおつかれさまでした。
私は今日はこれが最後の仕事なので、お先に失礼しますね」

最後にようやく俺たちのところへ来た君は、それだけ言うときびすを返しあっという間に立ち去った。

「俺たちもこれが最後だから送るよ」そう声をかける間すら与えてもらえず、俺と社さんは呆然と立ち尽くす。

「なんか、キョーコちゃん、ちょっと様子が変だったな。」

社さんが心配そうに俺を見る。

「社さん、すみません。今日は送れそうにないです」

「お、おう、蓮。俺はタクシー拾うから大丈夫。それより、キョーコちゃんのことちゃんと捕まえてしっかり慰めるんだぞぉ~」

「当然です」


まっすぐ楽屋に向かったが、そこには誰もいなかった。

荷物はあるのに、なぜ?

あてどない不安に襲われ、俺は彼女の姿を追った。


この階にも、この階にも彼女はいない。

そして最後に残った最上階への扉。


扉をそっと開けると、今にも雨が降り出しそうな曇天の下に見覚えのある茶髪が見え、俺は思わず安堵のため息をもらした。


『最上さん…』


すぐ声をかけようとしたのに、なぜか言葉にならない。

小さな背中があまりにも脆く儚げで、声をかけた瞬間に消えてしまいそうな気がしたから。

何かを受けとめようとするように片手を上げ、空を見上げる姿は、哀しみに満ちていた。


(どうして君はそうやってひとりで何もかも抱えこもうとするんだ)


昔のように誰もいない場所で涙を流し、明日になったら君はまた何もなかったかのように笑顔でみんなの前に立つつもりなんだろう。

今の君の周りには、喜びや楽しさだけでなく、悲しみや辛さ、痛みを分かち合おうとする人間がどれだけいることか。

君の悲しみを受けとめてくれるのが、あの青い石だけではないことに、君はまだ気づいていない。


そのことにやりきれない怒りがこみあげてくる。

でも、どうすればいいのかわからなかった


どれだけの時間が過ぎたろう。

長く感じられたけれど、ほんの数分だったのかもしれない。

ひっそりと、雨が降り始めた。


「最上さん」
まるでたった今ここにきたかのように、声をかけた。


はっとしたように揺れる肩。

それでもゆっくりと君は振り向いてくれた。


「敦賀さん・・・」

震えるような笑顔。


「知っていますか。降ってきた雨の最初のひとしずくに触れられたら、願いがひとつ叶うって言われてるんですよ」

儚い笑みに心が軋む。


「小さい頃ずっと願いをかけてたんです。お母さんが笑ってくれますように。お母さんの笑顔が見れますようにって。でもね、わたしまだ一度も最初の一滴に巡り会えてないみたいです」

言葉を紡ぐ彼女の頬にひと筋の涙が伝った。


「あれ?おかしいですね。別に悲しくなんかないのに。涙が出ちゃった」


(それ以上、しゃべらなくていいから)


ふわりと君を抱き寄せ、やさしく頭をなでる。
少しでも気持ちが伝わるように。


「日本は雨が多いから・・・きっと今は長い長い順番待ちの状態なんだよ。大丈夫。最上さんはこんなにいい子なんだから。いつか必ず願いは叶う。さあ、ここにいたら風邪をひくよ。送るから、もう帰ろう。」


本当は今すぐ君を、息もできないほど強く抱き締めたい。
心の底からそう思った。

強く抱き締めて、その涙を拭いながら、君はひとりじゃないと伝えたい。

もし君が求める愛が永久に得られないのだとしても、代わりに俺がそれを補って余りあるだけの愛を捧げると誓いたい。


 ――― でも、できなかった。


その資格がないから。


闇から抜け出せずにいる今の俺にできるのは、ただ先輩として彼女を支えることだけ。

でも・・・だから想いを止めろと、頭ではわかっていても心が追いつかない。

苦しい。

でも、彼女の傍に居ずにはいられないんだ。


俺はこの暗闇の中で ただ君だけを見ている。

ただ、ひたすらに。




fin

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