Dolce Mattino (甘い朝) sideキョコ

ぼんやりと影を帯びた日差しが、カーテンの隙間から零れ入る。

「ううん・・・んん・・・」

桜色に色づいた唇から小さく息を漏らし、キョーコはゆるりと瞼を開けた。

(まだ・・・暗い・・・?朝・・・じゃ・・・ないの?)

ぐっすり眠った気がするのにまだ暗さの残る室内への疑問を、キョーコは覚醒しきらない頭で思う。

耳を澄ませば、遠くに響く雨音。
それは、防音設備の整ったこの部屋にいてなお、ザアザアと叩きつけるように聞こえる。
たぶん、外では相当激しく雨が降っているのだろう。

(雨、か・・・。)

ああ、だからこんなに暗いのかとようやく腑に落ちる。
それにしても・・・。
1人なら憂鬱になりそうなほどひどい雨音なのに、何とも感じないどころか心地よくさえ感じるのはなぜだろう。

(この腕の・・・せい?)

キョーコの全身をやさしく包み込む、もうひとつの身体。
その身体から伸びる長く逞しい腕が、抱えるようにキョーコの首に回されている。
触れ合う箇所からは穏やかな温もりが伝わり、キョーコの心に大きな安らぎを与えていた。

1人で暮らしていたころには、感じたことのない満ち足りたひととき。

(この温もりが・・・今は、なによりも好き。)

恥ずかしくて口には決して出せないようなことも、心の中でなら自然に呟ける。
寄りそう身体の温もりを辿り、雨音に混じる小さな寝息に耳を傾ければ、不思議なほど心が凪いでいくのがわかった。

(あったかい・・・。)

身体も。
心も。

(ああ、なんて幸せなんだろう・・・。)

愛する人が、そこに在る喜び。

目を瞑り、“その人”を感じる。
それからそっと目を開けて、“その人”を視る。

キョーコの心をいつでも簡単に揺さぶれる“その人”。
そう、こうして眠っているときでさえ。

視界からはみ出してしまうほど間近に見えるその顔のパーツひとつひとつを、キョーコはついじっと見つめた。

しっかり閉じられた瞼を包む長い睫毛。
すっと通った鼻筋。
薄く開かれた形のいい唇。
・・・ため息が漏れるほど整った顔立ち。

起きているときは年齢よりもずっと落ち着いた大人びた顔立ちに思えるのに、寝顔には十代と言っても通用するのではないかと思わせる幼さが時折垣間見える。
それでいてやはり、起きているときのようにそこかしこに漂う、どきりとする程の色香。


キョーコは、そんな蓮の寝顔を見るのが大好きだった。

蓮がぐっすりと眠っている様子なのを見てとると、キョーコはそっと前髪に手をかけた。
目元にかかる髪を指先でやさしく退ければ、あどけなくさえ見える寝顔が余すことなく晒される。

(可愛い・・・。)

無防備な表情を眺めていると、愛おしさばかりがどんどん込み上げてくる。

(この寝顔は・・・わたしだけのモノ、よね?)

きっと自分しか知らないその寝顔を、キョーコは口元を綻ばせながら傍らで暫く見守っていた。


*


普通の人にとっては何でもない休日の朝のまどろみ。
けれど、世間の常識とはかけ離れた芸能界という場所に生きる2人にとって、共に休みを迎えられる朝はこの上なく貴重だ。

(もう少し、このままでいたいけど・・・。)

しばらく蓮の寝顔を見つめていたキョーコは、次第に覚醒しはじめた頭で考える。
このところ仕事が詰まっていたせいで、すっかり溜まってしまった雑多なアレコレ。

(掃除もしたいし、洗濯も、それに蓮さんが起きるまでに食事も用意しなきゃ・・・。)
2人で暮らすこの場所は、いつも快適に調えておきたい。

(蓮さんにとって、どこよりも安らげる場所にしておきたいから。)

そう・・・いつまでも一緒にいられるように。

それを思えば、
(そろそろ起きないといけないな。)
もう一度隣の寝顔をみながら、後ろ髪を引かれるような気持ちとともにそう思う。


今日の休みを得るために、蓮がどれほど努力していたか、キョーコはよく知っていた。
そんなに無理はしないで、と何度も言おうとしたけれど、言っても無駄なことももうよくわかっている。
それなら・・・

(せめて、こうした時間ぐらいはゆっくりさせてあげなきゃ。蓮さんが眠っている間に、いろいろ気になることを片付けてしまえば、あとでゆっくり2人の時間を過ごせるし・・・。)
肩から首を包むように回された大きな腕をそっと外し、静かに身を起こそうとする。

あゎっ。

その瞬間、思わず声が漏れるほど強い力で、起きかけた肩がぐいっと引き寄せられた。
急な力に、キョーコはバランスを崩し、そのまま再び蓮の腕の中に倒れこんでしまう。

「だーめ。逃がさないよ。」

囁きかける掠れ声。
艶めいた声色に、ドキリとする。

「起きてた・・・んで・・・うぐっ」

言いかけた言葉が、強く抱き締められたせいでくぐもった。

うぐっ!ぐぐっ!うぐぐぐっ!

そのまま、ぎゅうぎゅうと締め付ける両腕と絡み付く両足。
がんじがらめにされて、どうにも身動きがとれない。
なにかしゃべろうとしても言葉にならない。
それどころか息をするのも苦しくて、キョーコはばたばたともがいて抗議した。

しかし聞こえてくるのは、くすくす笑う声だけ。

(息っ!息ができないんですったらっ!酸素!酸素をくださいっ!)

両手で必死に覆いかぶさる身体を押しのけようとするが上手くいかない。
それどころか、密着度がますます増してきて・・・。
息苦しさが耐えきれぬほどになり、

(く、くるしい!あーーーー!もーーーうっ!いい加減にしなさ~いっ!)

思わず、口許を塞いでいた胸をカプリと噛んだ。

「いたっ!」

ようやく声がして、ほんの少し腕が緩む。
キョーコは急いで頭を離し、はあはあと空気を吸い込んだ。

「ねえ、どうして、離れようとするの?」

キョーコの様子など気にも留めていないような口ぶり。
落ちてくる言葉とともにまた腕にどんどん力が籠りはじめたのを感じて、キョーコは迫る身体を急いで押しのけた。
新鮮な空気を確保する、こぶしひとつ分くらいの隙間をキープしようとして。

「掃除とか洗濯とかしようと思っただけです。・・・って、そうじゃなくて!くっつくにしても、この距離でいいじゃないですかー!なんでそんなに抱え込もうとするんですかー。
さっきみたいにされたら、顔も見えないし、声だってよく聞こえませんっ。
ううん。それどころか、息も出来なくて、私、し、死んじゃいますぅ~!!」

必死にそう言ってみるが、蓮は聞いているのかいないのか。
肩に首に逞しい腕が巻きつき、痩身を長い脚が押さえつける。

「いいから、いいから。」

ぎゅうぎゅう。

そして始まる、蓮が抱き締める“ぎゅうぎゅう”と、キョーコが逃れようと押しのける“ぐーっ!”の攻防戦。

「いくないですっ!」

ぐーっ!

「へいき、へいき。」

ぎゅうぎゅう。

「へいきじゃないですっ!」

ぐーっ!

「もうっ!ほんとに、ダ!メ!ですったら!」

次第に本気で怒りはじめたキョーコに気付いたのか、ようやく力が止まった。
呆れながらキョーコが蓮を見上げようとすると、頭上で『ちっ』と声がする。

「あーーーーっ、今、舌打ちしましたね。ちゃんと聞こえたんですからっ!もーうっ!」

「俺はただ、キョーコをずっと抱き締めていたいだけなのに・・・。」

ぷぅと頬を膨らませるキョーコのおでこに額をすり寄せ、蓮は言う。

「外は雨がひどそうだし、まだしばらくこうしていてもいいでしょ?」

キョーコが弱い、懇願するような声色で。
抱え込んだ両腕はそのままに。

「だって・・・。キョーコの身体をこうして抱き締めてるだけで、俺は幸せな気持ちになれるんだよ。
こうして一緒にいられるときくらい、抱き締めて、抱き締めて、君がちゃんと俺の腕の中にいるって実感していたいんだ。
ただ、それだけなのに・・・。なんで、わかってくれないかなあ・・・。」

(私だって、抱き締められてるだけで幸せですっ!)
返したいけれど、なんだか恥ずかしくて口にできない。

「だって・・・。」
口を開いたキョーコの耳朶を、いきなり蓮がかぷっと噛んだ。

「それとも・・・キョーコは俺に抱き締められたくないの?」

はむはむと啄むように甘噛みながら拗ねたような口調で言われ、キョーコの心臓がキューンと締め付けられる。

(もうっ!わかってるくせに・・・。)

みるみる赤く染まるキョーコの様子を満足そうに微笑んで見つめる蓮。

すると、2人の間にあった小さな隙間にさらりと黒髪が落ちてきて、今度はキョーコの頬に蓮の顎がごしごしと擦りつけられた。
ほんの少し生えかけた髭が、敏感な肌にはじょりっと痛い。

「痛いっ、痛いですったらっ。」
「痛くないよ。昨日ちゃんと剃ってるし。それに俺のヒゲ、やわらかいでしょ?」
「顔の皮膚は敏感なんですっ!」
「でも、キョーコはその痛みがうれしいんだよね?ね?」

(まったく、この人は・・・。)

こんなに子供みたいなところがあるなんて、こうなる前は思ってもみなかった。
少し呆れて力が抜けた、その隙を突くように、またぎゅうっと抱き締められる。
今度はなんとか息のできる空間を確保できて、キョーコは息をついた。

(もう少しだけ・・・いっか。)

大好きな蓮の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、思う。
そのままぐっと厚い胸板に顔を押し付ければ、応えるように蓮の腕がキョーコをこれでもかと包み込んだ。

それがやっぱり嬉しくて、ぐいぐいと顔を押し付けてしまう。
伝わる温もりの確かさに、胸がキュンと締め付けられるように苦しくなり、キョーコは思わず蓮の背に回した手に力をこめた。


「ねえ、キョーコ。俺のこと・・・好き?」

小さく囁く声がする。

気持ちが通じ合ってから、2人で暮らすようになってから、蓮はときおりこうしてキョーコに尋ねてくる。
でも、愛の言葉を囁き返すなんて、キョーコにはとてもとてもハードルが高すぎて。
そのたびに、キョーコはただこくんとうなずくばかりだけれど、蓮にはそれが不満らしい。

「ねえ、教えて。」

こくこくとうなずいても、言葉は止まらない。

「俺のこと・・・愛してる?」

耳にとくとくと響く心音に、やさしい声が入り混じる。
その音に、心も身体も溶けていきそうになる。


「ね。俺のことだけを好きだと言って。」

そんな声を、そんな言葉を、もっと聞きたいと思うのはわがままだろうか。

もっと。
もっと。
この腕の中で。

聞いていたいから、返事はまだ口にしない。


やさしい微睡の中で・・・
キョーコは、蓮だけに意識を集中させる。


蓮がそうであるように。


「ねえ・・・キョーコ・・・俺のことだけが必要だと言って。」


もっと。
もっと。


聞かせて。
感じさせて。

あなたを。
あなたの愛を。


もっと。
もっと。

ずっと・・・。





Fin

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