演技か本音か冗談か

「・・・好きだ。」
折れてしまいそうな痩身をぐっと抱き寄せ、呻くように呟いた。

驚かせるつもりはなかった。
こんな風に言うつもりもなかった。


隣り合わせたエレベーターホール。
「やあ、元気?」
ただの挨拶のつもりで声をかけた。
当たり前のように、君はにっこり微笑みながら会釈する。

その瞬間、髪が揺れ、微かに立ち上る甘い香りが俺の鼻腔をくすぐった。
ふわりと広がり俺を包んだ芳香と、可憐な花が咲き綻ぶような笑顔。
それが、俺を狂わせた。

ずっとずっと抑えていた気持ちが、その瞬間一気に溢れ出してしまったんだ。


気がつけば・・・君は俺の腕の中にいた。


茫然と見開かれた瞳が俺を見据える。
固く閉じた身体がびくんと大きく震えたのに気付き、慌てて身を離した。
「ご、ごめん。俺、どうかしてた。怖がらせるつもりはなかったんだ。」
拒絶の言葉を聞くのが恐ろしくて、その先にある本当の気持ちを飲みこんだ。

チーンッ

緊張の糸を断ち切るように、エレベーターホールに到着の合図が鳴る。
ゆっくりと開くドア。
逃げ場所を差し出されたような気がして、誰もいない箱の中に俺は急いで飛び込もうとした。

・・・そのとき。

身体がぐっとなにかに引かれた。
服をどこかに引っかけたような攣れる感覚。

(え?)

そこに見えたのはジャケットの裾をつまむように掴む小さな指先。

(まさか・・・)

スーツの紺に指先の白さが怖いぐらいに映え、視界に突き刺さる。
指先から袖口に、そしてその先へ、恐る恐る視線を向ければ、驚くほど間近に俯いた君がいた。

何も言わず、ただ震えながら俺の上着を掴む君。
身体が固くなる。


とっさにその手を掴んだ
背後で、エレベーターのドアが音もなく閉まっていく気配を感じた。


静まり返ったエレベーターホールに、2人の鼓動と息遣いだけが伝わっていく。
緊張感に耐えながら、俺は裾を掴む小さな手にゆっくりと自分の掌を重ねた。


小刻みに震えるその手を力強く握り締め、俺はもう一度彼女を引き寄せる。
そしてゆっくりと、抱きすくめた小さな頭に顔を埋めた。

「もう・・・離さないよ。」
彼女の香りが、俺をやさしく包み込む。


『恋を動かす、香り。 ―――この冬、新発売。』


* * *


「はい、カーット!テストOKで~す!それじゃ、ランチ休憩に入って下さい。1時間後に、本番撮り入ります。」

監督の声が響き、スタジオに喧騒が戻る。
行われていたのは、今冬発売されるの香水のCM撮影。
初々しい新人社員をキョーコが、そのキョーコを憎からず想っている先輩社員を蓮が、それぞれ演じることになっていた。


「あ、あ、あの・・・もう終わりましたけど。」
カットの声がかかった後も、まだ自分を抱きしめたままでいる大きな身体を、キョーコは慌ててぐっと押しのけた。
「・・・ん?ああ、ごめんね。最上さん、あまりにいい香りだったから。つい。」
キョーコの頬がぱっと赤く染まる。
そのことを自分でも呆れるほど嬉しく想いながら、蓮はクスリと笑った。

「つい、じゃないです。いくら相手が私だからって、あんまり調子にのってからかわないでください。お仕事なんですから!」
上目遣いに抗議するキョーコを愛おしげに見つめる。

「からかってなんかないよ。本当に残念だと思ってる。もう少しでいいから、この香りと最上さんの温もりを味わっていたかったのに。」
さりげなく本音を漏らすが、もちろんキョーコにはまったく伝わらない。

「もうっ!そんなことばっかり言うから、共演する女優さんがみんな敦賀さんに恋しちゃうんですよ。」
誰にもこんなこといわないと反論しようとして、キョーコが発した“みんな”というひと言に気付き、ドキリとする。
「・・・みんなって、もしかして最上さんも?」
「安心してください。私はちゃんと冗談だってわかってますから。」
胸をどんと叩き、あっさり答えてにっこりと微笑んでみせる。その笑顔が蓮には少し憎たらしい。

(いや、全然わかってないから。逆だから・・・。)
思わず顔をそむけ、大きくため息をついた。


「あ、だからって、からかうのはなしですよ。」
そんな蓮の心の内など知る由もなく、キョーコは口を尖らせる。

「ほらほら、女の子がそんな顔しない。せっかく大人美人にしてもらったのに台無しだよ。」
なだめるように頭をぽんぽんっと軽く叩くと、蓮はそのまま髪をひと房掴み取り、指先にくるくると絡めた。

(反撃。してみようか。)

「そもそも、こんなにいい香りをさせて、俺を惑わす君が悪いんだ。」
そして、先ほどの撮影のラストシーンで見せたように瞳をキラリと光らせる。

「・・・ねえ。最上さん。ちょうどいい機会だから、俺たちの恋も動かしてみない?」
「・・・・・・は?」

何を言われているのかさっぱり訳がわからないといった表情を浮かべ、小首をかしげるとキョーコは蓮を見上げた。

「だから・・・、俺たちの恋。」
この上なく神々しく、そしてあらゆるものを引き寄せる魔力を放つ瞳が、ゆっくりとキョーコの視線を捉える。
吐息がかかりそうなほど間近に迫る美貌の微笑。
悪魔の誘惑か、と思いたくなるほど端正な相貌に、キョーコはまばたきも忘れてつい見入ってしまった。

(いけないっ!)
すぐにハッと気付いたものの、
“ばかなこといわないでください!俺たちとか、恋とか、からかうにもほどがあります!”
そう言おうとした言葉がなぜかうまく出てこなくて、唇だけを陸に上がった魚のようにパクパクと動かしてしまう。
そして、自分でも不思議なくらい、全身がカーッと熱くなるのを感じた。

(やだっ、私・・・。)


パンッ!
「はいっ!そこまで。」


手を叩く鋭く高い音とともに、突然社の声が2人の耳元に響いた。
「蓮。必死に口説いてるとこ邪魔して申し訳ないけど、まだ仕事中だから。あ、キョーコちゃん。よかったらお昼いっしょにどうかな?」

言いながら2人に微笑む社の瞳は、微妙に笑っていない。
(ほんと、現場でそういうことは勘弁してくれよ。いろいろごまかすのも大変なんだから。)

「く、口説かれてなんかいませんっ!」
弾かれるように蓮から離れたキョーコは、びゅーんと音が立つほどの凄い勢いで、社の後ろに隠れた。

(なんで、社さんの後ろに隠れるかな。)
蓮の口端から小さく「チッ」と舌打ちが零れる。
目の前にいたせいでそれに気付いた社が、ぶるんと身体を震わせた。
(うわっ、蓮。殺気出てるから。顔、すぐに戻せ。)

そんな空気を鋭く察したのか、
「あ、あの、わ、わ、わたし、ランチの支度してきますね。お弁当お二人の分も作ってきたのでぜひ召し上がってください。」
叫ぶように言い残すと、あっという間にキョーコはその場から立ち去っていった。


キョーコの後ろ姿が消えていくのを見送ると、蓮は大人げないいらつきを滲ませた視線で社を振り返る。
その視線をまっすぐ受けとめ、社は大きくため息をついた。
そして、呆れたようにヒョイと肩を竦めて、両掌を小さく上に上げる。

「あのさ、蓮。今の態度、たぶん逆効果だから。それに、あれが本気の本音だって、彼女には全然伝わってないと思う。」
「そんなことわかってますよ。でも、どうせ伝わらないなら、少しくらいいい思いさせてもらってもいいじゃないですか。彼女とこんな風に共演できるなんて、そうあることじゃないんですから。しかも恋人役で。」
「いや、まあ、たしかにそうだけど。」
同情と憐憫をこめた眼差しが、”芸能界イチのいい男”に向けられる。

「でもさ、蓮。仮にも抱かれたい男NO.1に選ばれたお前が、撮影にかこつけて好きな子抱き締めるだけでイッパイイッパイになってるって、それってものすご~く情けなくて、ものすご~く淋しいことだと思わない?それなら、ストレートに気持ちを伝えるほうがまだましだとおもうけどな。」

「・・・・・・・そんなことでちゃんと伝わるなら、こんな苦労してないですよ。」
小さく呟くと、蓮は社に背を向け僅かに残ったキョーコの温もりを惜しむかのように、自らの掌に視線を走らせた。

「ほんとに・・・鈍感にも程がある。」
その広く大きな背中から、ゴゴゴゴゴと地響きが轟き出しそうな気配を感じ、社は慌てて姿勢を正す。

「お、おっと。そろそろランチの場所探しに行かないか。キョーコちゃんがお弁当作ってくれたって言ってたし、それなら俺たちは食べる場所を確保しておかないと。ほら、それならあまり人目に付かない場所がいいと思うし・・・な、蓮。」

「ええ、そうですね。社さん。」
振り向きざまににっこりと笑う蓮。
その瞳がまったく笑っていないことに、社はすぐに気がついた。
闇の国の住人の足音が間近に聞こえた・・・気がする。

(ヒイイイ!!キョ、キョーコちゃん!早く帰ってきてくれ~。)

「あ、そうそう。今夜の夕食もちゃんと依頼済だから。」
身の安全を図るように、社は慌ててフォローのひとことを告げた。



そして、蓮は―――。

先ほどのキョーコの表情をつぶさに思い返していた。
(たしかに・・・赤くなったよな。俺の見間違いじゃ・・・ないよな。)

記憶に残るキョーコの表情を何度も何度も反芻する。

(少しは・・・期待してもいいのかな?でも、過度の期待は禁物だよな。)

期待したあとの空振りをこれまで何度も経験しただけに、まったく自信は持てないが、だからといってこのままで終わらせるつもりもない。


(さて、午後はどんなテを使おうか。)


蓮は、にこりともにやりとも判断しかねる笑みをこっそり浮かべた。

(そろそろ俺も攻めに転じるつもりだから。覚悟しておいてね。最上さん。)


無意識に手を握って拳を作ると、蓮はポキリと関節を鳴らした。






fin

スキビ☆ランキング ←参加してみました。よろしくお願いします。
関連記事

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する