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夕暮れは雲のはたてに…

ひとりで見る空は、広すぎて心もとない。
自分がどこにいるのか、分からなくて不安になる。

だから、早く・・・。
早く君の元へ帰ろう。


暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて
(古今集 詠み人知らず)


携帯を手にとって履歴を確認し、それから時計を眺める。
大きなため息が1度、2度口から零れた。


東京は明け方の時刻。
おそらく彼女はぐっすり眠っていることだろう。
声が聴きたいという、ただそれだけの我儘で彼女を起こすわけにはいかない。
いや、そもそも電話に出てくれるかどうかもわからない。

(また・・・、すれ違いか。)

ため息をつきながらメール画面を開いた。
『ちゃんとご飯は食べていますか?社さんに心配かけちゃだめですよ。』
気遣いに溢れたその文字が胸に痛い。
文字を見るだけで、キッチンでにっこり笑いながら俺を見つめる君の笑顔が脳裏に浮かぶから。


* * *


彼女と暮らすようになって3ヶ月。
山岳救助隊を描くというドラマの主演に、俺は抜擢された。
初回特番用に海外ロケが入るという。

ロケ先はスイス。
撮影は、2週間をかけアルプスの山中でキャンプを張り敢行される。
美しいだけでない自然の厳しさと優しさ、そしてそれに立ち向かう人々の生の表情をつぶさにカメラに収めたいとの監督の意向で、この地での撮影が決まったそうだ。


一緒に暮らし始めてから初めて離れて過ごす2週間。
社さんには「たった2週間じゃないか」と笑われて、自分でもそうかなと思ったけれど、家を出た瞬間に気が付いた。
“たった”だなんてとんでもない。
身を引き裂かれるような2週間になるってことに。

正直・・・話を聞いた時は、2週間くらいどうってことないと侮っていた。だって、一緒に暮らし始めるまでは、そのくらい逢えないなんて普通のことだったから。
それより、声を聞いて逢いたくてたまらなくなるほうが、仕事に支障が出そうで気になった。
だからつい・・・彼女に言ってしまったんだ。

“声を聞くとぜったいに逢いたくなる。逢いたくてたまらなくなる。そうしたら俺は仕事どころじゃなくなるかもしれない。だから・・・電話は我慢しよう。”

あのときの彼女の驚いた顔。
けれどすぐに表情は変わり、にっこり笑って見送ってくれた。
その顔を思い出すたび、頭を抱えて唸る。

ああ、俺はなんてことを言ってしまったんだろう。
お互い忙しい身だけれど、帰る場所が同じなら、その分会えるタイミングも多いし、いっしょに過ごせる時間も長い。
そのせいで・・・いつの間にか、俺は彼女の温もりの近さにすっかり慣れてしまっていたのかもしれない。
それが自分にとって、どんなに特別で、どんなに幸せなことだということを、あのときはうっかり失念していた。

うっかりという言葉の怖さをこれほど痛感したことはない。
本当に、俺はなんて莫迦なことを口にしたんだろう。


すぐに後悔し、空港に着いた途端に電話した。
そう、その時俺は彼女の性格をすっかり忘れていたんだ。
何度コールしても彼女はちっとも出てくれず、やがて返ってきたのは1通のメール。

「だめですよ。男に二言はない、です。だから2週間電話は禁止です。」

メールを受け取ってすぐ、何度も何度も電話した。
でも君は出てくれない。
ああ、そうだ。君は一度こうと決めたことには驚くほど頑固な子だった。
頑固・・・いや・・・今回は確かに俺が悪い。

なんとかして謝ろうとした。
けれど、君から返ってくるのは素知らぬ素振りの答えばかり。

何度目かのメールを送った後、携帯を片手にはあーっと大きくため息をついた俺に、社さんが心配そうに、でも少しにやつきながら声をかけてきた。
「お前・・・なんかやらかしたんだろ?」
その言葉に思わずきっとにらみつけると、社さんは肩をすくませて俺をみる。
「おー、こわっ。仕事のときはぜったい出すなよ。その顔。」
「もちろんです。俺はプロなんですよ。」
「そうだな。まあ、たしかにお前なら心配無用だよな。」

社さんはそう言って、彼らしい無邪気な笑顔を浮かべながら俺の肩を叩いた。
正直自信がないなんてとても口に出せないほど、俺を信用しきった笑顔で。
・・・いや、待て。それが彼の作戦、か?
だとしても、プロとして俺は全力を尽くすしかない。

そう心に誓ったはずなのに、結局機内でも、どうすれば君の機嫌が回復するのか、どうすれば声を聞かせてくれるのか、そのことばかり考えてちっとも眠れなかった。
(すでにプロ失格じゃないか・・・?)
疑問には目を瞑る。


*


現地に到着したのは同日午後。
初夏とは思えぬ冷気が俺の心を締め付ける。
(日本は今、明け方か・・・。)
昨日までは確かにこの腕の中にあった彼女のやわらかな温もりが、今は欠片すらない。
そう考えただけで、ぶるりと身体が震える。

「おい蓮、何ぼんやりしてるんだ。すぐ移動だぞ。」
気がつけば俺は、空っぽの両手をぼんやりとみていた。


* * *


撮影に入って1週間が過ぎた。

目の前に広がっているのは、陽光がまぶしく降り注ぐアルプスの山々。
新緑に彩られた起点に辺りを見回せば、当たり前のように残雪が垣間見える。
点在する白と山の緑、驚くほど広く高い空の青。
そこに散らばる、色とりどりの高山植物の可憐な花々。
艶やかに視界を染める色の見事なコントラストに、俺は思わず目を細めた。

(彼女が今ここにいたら大騒ぎするな。)

この壮大な景色に夢中になって、きっと足元の危険も顧みず喜び勇んで駆け回ることだろう。
そしてこちらを見て、嬉しそうに微笑むんだ。
つい口許を綻ばせ、それから彼女との距離を思い眉を曇らせた。

(もうずいぶん彼女の声を聞いていない・・・。)

2週間のスケジュールは、みっちり詰められていた。
ただでさえ忙しい状況に加え、時差の件もある。
そして何よりもショックだったのは、この場所では携帯がほとんどつながらないということ。
アルプスの山中でも携帯環境は整っていると言われていたが、撮影地は観光のメインとなるトレッキングコースを外れており、電波の届く場所が限られていた。
そのため直接電話をする機会はちっとも得られず、メールのやりとりばかりが重なっていく。

メールがいやなわけじゃないけれど・・・。
でも、メールの数だけ満たされない想いが降り積もる。


『今日も無事仕事が終わったよ。君は今日何してた?』
―――君の声が聴きたい。

『今夜は月がきれいだ。君も同じ月を見たかな。』
―――君の髪にふれたい。

『愛してる。会えなくて辛い。』
―――君を・・・抱きしめたい。



そして10日目。
ようやく僅かな自由時間がとれ、電波の届く場所に降りてきた、こちらの時刻は17時。

(日本は今深夜1時か・・・。)

もしかしたら起きているかもしれない。
けれど、仕事の状況次第では、今電話するのは酷かもしれない。
逡巡する想いが、すっかり慣れきったメール画面を起動させる。

君に向かって真っ直ぐに伸びる耐えがたい想いは、もうとっくに限界を超えていた。

離れた時間が、この距離が、君への想いを加速した。
どうしようもないほど強く。
どうしようもないほど激しく。
もし許されるなら、今すぐにでも俺は君を抱き締めに走るだろう。


『今、こちらは夕方。今日撮影した場所で、ニオイスミレが群生しているのを見つけた。青紫の可憐な花を見ていたら、君に渡したアイオライトを思い出したよ。あれが、君と交わした初めての約束だったね。
俺がいない間、あの石が君の悲しみを吸い取っていたけれど、これからは俺自身がその役目を引き継ぐ。
約束するよ。君の悲しみは俺が引き受ける。その代わりに、俺が得た喜びを君に捧げよう。そうして、ずっと、ずっと君のすべてを守り続けるから。だから、これからもずっと傍にいてほしい。』

長文を打ち込むと、アイオライトと同じ明るい藍色の花とハートの形をした緑葉を捉えた写真を添付して、送信ボタンを押した。
夕暮れの赤茶けた光が、画面に反射してゆらゆらと揺らめく。

その光の眩しさにふと上を見上げた。
燃えるように赤く染まる夕暮れの空。
この空は、たしかに君に繋がっているはずだ。



数分後、突然電話が鳴った。
君からの電話を知らせる特別の着信音。
その音に驚いて、持っていた携帯を思わず落としそうになる。
慌てて通話ボタンを押した。

「も、もしもし・・・」
「もしもし、敦賀さんですか。あなたキョーコにいったいどんなメールを送ったんですか。」
怒った口調のその人は、彼女の親友。

(なんだ・・・。琴南さんか。)

「敦賀さん、あなた、今思いっきりがっかりしましたね。こっちまでため息が聞こえてきましたよ。まったく。ふたりとも莫迦げたことに頑固なんだから。やってられないったらありゃしない。まったく、もうっ!」
琴南さんの口癖は、何年経っても健在だ。

「あのですね。今ここに、あなたが目の中に入れても痛くないほど可愛がってる、だ・い・す・き・な恋人さんがいるんですけどね。」
そんなに大好きを強調しなくてもいいじゃないか。
まあ、事実だけど・・・。

「あなたから届いたメールをみるなり、いきなり、涙流し始めて困ってるんですけど。」
『モー子さん、やめて。敦賀さんには言わないで。』
背後で叫ぶ彼女の声が聞こえる。

・・・涙?
・・・泣いてるの?

「とにかく、ちゃんとフォローしてくださいね。そもそも、逢いたくなるから電話はしないとか、そんなくだらない約束、二度としないでください。どうせ、2人とも我慢できやしないんですから。そのくせやせ我慢しようとして、周りに迷惑かけるだけです。
いいですか。こんなめんどくさい子の相手、そう何度もできませんからね。
こうなっちゃうと、この子のフォローはあなたしかできないんです。
親友の私にだって、打つ手がないんですよ。そこんとこ、ちゃんとわきまえてくださいね。」
ほんと迷惑ですから、と言う声の向こうで、微かに鼻をすする音がする。

「キョ・・・」
名前を口にしかけたとたん、いきなり電話ががちゃんと切れた。

頭の中で、君の泣き顔がぐるぐる回る。
どうしよう。泣かせるつもりはなかったのに。
バクバクと、身体中に鳴り響く心音に、息苦しささえ感じながら。
何度深呼吸しても震えてしまう指先をなんとかおさえ、間違えないようゆっくりプッシュする。

耳元で響く呼び出し音は、彼女へとつながるカウントダウン。


・・・カチャッ。
そしてようやく、ずっとずっと待ち望んでいた音がした。



「・・・・もしもし。キョーコ?泣かせてごめん・・・。」 。







夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふ あまつそらなる人を恋ふとて
(夕暮れになると雲の果てに向かって物思いに浸ってしまう。天空にいるように遠いあの人を恋しく思って。)



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