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コーヒータイム

(まだかな・・・。)

大きな身体を持て余すように縮めながら、蓮はドアの外からそっとリビングを覗き見た。まるで怒られたばかりの大型犬が、主人の機嫌を伺っているかのように恐る恐ると。

視線の先にあるソファでは、キョーコが脇目も振らず台本読みに集中している。その様子に、蓮はハアーっと大きくため息を漏らすと、トレーニングルームへ踵を返した。

*


一緒に暮らしはじめた今では、共に過ごすことも以前に比べてずいぶん増えた。
けれど、それでもいっしょにいられる時間は、普通の恋人達よりずっと少ない。
だから蓮はいつだって、1分でも1秒でも長く2人きりのロマンチックなひとときを味わいたくて仕方ない。
ただでさえ恥ずかしがり屋のキョーコは、なかなか蓮の望みを満たすほど思い切り甘えてはくれないから。

とはいえ、キョーコにとって今度の役は、今後の役者人生の正念場になるかもしれない大事なもの。
彼女が役作りに賭ける気持ちはよくわかるし、そのために必要な時間を邪魔するわけにはいかないとも思っている。
(わかってはいるけれど・・・。)
彼女の時間を全部ひとり占めしたい、という気持ちが捨てきれない。
(手の届くところにいてほしいんだ。いつだって。)
それだけで、心が安らぐから。

本当はついさっきまで、キョーコを膝の上に抱き、全身で彼女を感じながら過ごしていた。キョーコは台本を、蓮はこれから出演する予定のドラマの原作本を、それぞれ読みながら・・・。

けれど蓮がことあるごとに、キョーコの頭に何度もキスしたり、頬をつついてみたり、さりげなく指先をいけない場所に滑らせてみたり、そんな悪戯を繰り返してばかりいるから――。

「もうっ!集中できませんっ!」
怒られてしまった。

「ごめん。大人しくしてるから・・・いっしょにいようよ。」
「そんなこと言って、ぜったい言うとこ聞いてくれないんだからダメです!」
口を尖らせたキョーコのぷんと怒った顔がたまらなく可愛くて、ついちゅっと口づけたのがいけなかった。
「ほらっ、やっぱり!蓮さん、いつも言ってるじゃないですか。プロとして必要な努力は絶対に惜しんじゃいけないって。だから、今は少しだけ集中したいんです。わかって・・・くれますよね?」

小首を傾げてそうお願いする顔も愛しくて、もっとキスしたくなる気持ちを抑えるのに苦労する。
でも、キョーコの瞳は真剣。

(まずい・・・。やりすぎたか・・・。)
後悔してももう遅い。
そしてついに「しばらくあっちに行っててください」宣言をされてしまった。

(しょうがない。俺が悪いんだから。)
これ以上怒らせたら、ゲストルームに立てこもってしまいそうな不穏な気配を感じ、蓮はすごすごとトレーニングルームへ退散する。


(ごめんなさい、蓮さん。もうちょっとだけ集中させてくださいね。)
しゅんと頭を下げて背を向けた蓮の姿に、キョーコの胸がキュンとなる。
ほかの人にはぜったいに見せないそんな姿を、自分だけに見せてくれるのが、キョーコは本当は嬉しくてたまらない。
本人には恥ずかしくてぜったいにそんなこと言えないけれど。

(そんな子供みたいな蓮さんも大好き。)


*


キョーコに怒られて、仕方なくトレーニングルームに向かった蓮だが、どうも集中できない。何とか煩悩を振り払おうと懸命に汗を流しても、やっぱり気になるのはキョーコのこと。
(まだかかるのかな・・・。もう終わるかな・・・。)
つい、そればかり考えてしまう。

先輩役者として邪魔をしたくない気持ちよりも
(キョーコに触れていないと、なんだか落ち着かないんだ。)
そんな想いが勝ってしまい
(だめだな。俺・・・。)
反省するものの、少し動いてはすぐリビングに様子を覗きに行ってしまう。

だって、キョーコの姿を確認するだけでも気持ちが安らぐから。
だから、せめて気づかれないようにこっそり足を運ぶんだ。


そうして何度目かの覗き見にとりかかったとき、蓮は台本から少し視線を逸らしたキョーコがふぅーっと息を吐いたのを見つけた。

(・・・そうだ!)

蓮の頭の上にピコーンと閃きマークが飛び出る。
そして、ぱあっと明るい笑顔を浮かべた蓮は、いそいそとキッチンへ向かった。
もちろん、その前にさっとシャワーで汗を流して。


キッチンで蓮がカチャカチャといじりはじめたのは、専門店さながらの本格的なコーヒーメーカー。
そして小さく何かの旋律を口ずさみながら、これ<だけ>は美味しくできると自慢のコーヒーを丁寧に煎れ始める。

やがてキッチンに漂いはじめる芳しい香り。

(うん。今日も上出来だ。)

にっこり微笑むと、今度は小さい泡立て器を右手に持って、温めたミルクを器用に泡立てていく。
自分で泡立てるフォームドミルクは、キョーコが大好きなカフェラテのために、こっそり知り合いのバリスタに教えてもらった特別ワザ。
こうして淹れたカフェラテは、今ではキョーコがなによりも美味しいと言ってくれる彼女のためだけの特別メニューになった。

(喜んでくれるかな。喜んでくれるよな。)

どんなに高価なプレゼントよりもキョーコが喜んでくれるのは、蓮が淹れた1杯のカフェラテ。
ありがとう、と微笑むキョーコの幸せそうな表情(かお)が脳裏に浮かび、それだけで蓮の心はほっこりとやさしい温もりで満たされていく。

(不思議だな。彼女が傍にいると思うだけで・・・)

当たり前の日常が、光り輝いて見える。
当たり前の毎日が、心躍るものになる。

(彼女のことを知れば知るほど・・・)

もっともっとそのすべてを知りたくなる。
愛しく思う気持ちがどんどん加速する。

自分がこんな風に1人の女性に夢中になるなんて思ってもみなかった。

(すっかり溺れてる・・・な。)
そう思いながら、くすりと笑う。

(それに・・・まさかそれを自分がこんなに幸せに思うなんて、ね。)


*


「お嬢様、お茶をお持ちしました。」

カフェラテの入ったひと回り小さいカップを差し出しながら、台本を置いてうーんと背伸びをしたキョーコにそっと話しかける。

「うわあ、いい香り。」
漂うコーヒーの香りにふんふんと鼻を鳴らしたキョーコは、蓮を見上げながらにっこり微笑んだ。
その表情がいつにもまして愛らしく、蓮は思わずどきりとする。

(ああ、この笑顔に俺は弱いんだ。)

蓮の心を捉えて離さないキョーコの無垢な笑顔。
見るたびに、自分ばかりが夢中になっていくような気がするのがなんだか少し悔しい。

「キョーコ用に、少しぬるめにしてあるから。」

そう言って、無意識に蓮が浮かべた神々しい破顔。
その表情こそ、いつだってキョーコの心をぎゅっと締め付け、ときめかせていることに、当の本人はちっとも気付いていない。


(どうしよう。神々笑顔だ・・・。)

カッと熱くなった頬と、とくとくと高まってしまった心臓の音に動揺して、
「えへへ。蓮さん、はいっ、かんぱーいっ!」
照れたような微笑みを上目遣いに浮かべると、キョーコはごまかすように手にしたカップを差し出して、蓮のカップにコチンとぶつけた。
それから両手で大事そうにカップを抱え、こくんこくんと喉を鳴らしながらカフェラテを飲みこんでいく。
跳ね上がった心臓が、少しでも落ち着くように。

「おいしい・・・。」

心の底から幸せそうにそう呟くと、キョーコは蓮を見つめ、
「あのね・・・。いつも、ありがとうございます。我儘ばかり言ってごめんなさい。蓮さんといられて、私、とっても幸せです。」
そう言って、頬を赤く染めた。
そんなキョーコを、蓮は嬉しそうに眺める。

(ああ、何もかも投げ出して彼女を抱きしめたい。)

想いに突き動かされるように、蓮はキョーコの手からカップを取り上げた。
カップをテーブルに置く、カタンという響きがキョーコの耳に伝わるか伝わらないかの刹那――。

蓮は、大きな手のひらでキョーコの頬を包み込み、そっと自分のほうへと引き寄せた。
倒れこむように蓮の胸もとに埋もれる小さな頭。

きゃっ

叫んだ声も、ぜんぶ蓮の胸の中に吸い込まれて・・・。
気が付けばキョーコは、何処よりも安心できる、何よりも愛しい温もりの中にいた。



そう、2人の特別なひとときは、これからはじまる。






fin
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